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『時間は実在するか』入不二基義(講談社現代新書)

『時間は実在するか』入不二基義(講談社現代新書)

2002年
320頁




目次(収録作品)

「時間の非実在性」はどう考えられてきたか
「飛ぶ矢のパラドックス」の拡張
「時間の非実在性」の証明(1)――証明の前半
A系列とB系列
「時間の非実在性」の証明(2)――証明の後半
A系列は矛盾を含む
証明は成功したのか
3つの形而上学的な立場
もう1つ別の時間論――第4の形而上学的な立場
過去と未来の区別がなくなっていく

「飛ぶ矢」は止まっている!?
マクタガートの「非実在性」の証明とは!?
過去・現在・未来の「罠」

飛ぶ矢のパラドックスに始まり、マクタガートの非実在性の証明を検証し、新しい形而上学を構想する。

「実在」の第1の意味――
まずは、マクタガートから「遠く離れた」ところから始めてみよう。……古代ギリシアの哲学者であるゼノンとアリストテレス、古代末期のキリスト教者であり哲学者であるアウグスティヌス、初期大乗仏教の確立者ナーガールジュナ(龍樹)、明治から昭和期の国語学者山田孝雄(よしお)。彼らの議論を参照しながら、その「問題」へと接近してみよう。
「実在」とは、まず第一に、単なる見かけ(仮象)ではなくて、ほんとうに存在しているものという意味である。
「ほんとうに(really リアリィ)」という副詞を名詞にすると、「実在(reality リアリティ)」になる。見かけ(仮象)を剥ぎ取った後の「ほんとうの(real リアルな)姿」の中に、「時間」がはたして含まれているのかどうか。それが、「時間は実在するか」という問いの1つの意味である。――(本書より)

出典:講談社BOOK俱楽部

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