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『最後の社主』樋田毅(講談社)

『最後の社主―朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム』樋田毅(講談社)

2020年
322頁




目次(収録作品)

第一章 深窓の令嬢
第二章 「新聞王」の初孫
第三章 凱旋行進曲
第四章 夢の舞台を
第五章 果断の人・村山龍平
第七章 哀しみを越えて
第八章 創業家の矜持
第九章 社主の役割
第一〇章 養子探し
第一一章 闘病の日々
第一二章 奇跡の人

日本のクオリティ・ペーパーを自任する朝日新聞社。その朝日株の6割を握っていたのが、創業者・村山龍平と村山家である。そのため、朝日新聞は村山家を「社主」として手厚く処遇しつづけた。
その「最後の社主」となった村山美知子は、1920年、新聞王と呼ばれた村山龍平の孫として生まれた。母・於藤は龍平の娘、父・長挙は子爵・岡部家から婿入りした旧華族だった。朝日新聞が生み出す巨大な利益と、華麗なる血脈――美知子は、妹・富美子とともに、神戸・御影の邸宅と有馬温泉の別邸を行き来しながら育った。日本舞踊、古式泳法、スキー、茶道、ピアノなどを学ぶ、日本有数の「深窓の令嬢」――それが村山美知子だった。

戦後、海軍大将の次男を婿に迎えるが、朝日新聞の経営に興味を示さず、離縁してしまう。傷心の美知子は、音楽の世界で活躍することになった。朝日新聞が後援する日本を代表する音楽祭「大阪国際フェスティバル」の専務理事として、世界各国から有名指揮者、オーケストラ、将来有望な若手を招聘した。小沢征爾、カラヤン、ルービンシュタイン、ワイセンベルクらが美知子に深い信頼を寄せた。
一方、朝日新聞の経営陣は、株を握る村山美知子の機嫌を取ろうと奔走する。専任の「秘書役」をつけ、お気に入りの高級パンを届け、記者出身の役員は慣れない茶道に挑戦し足がしびれて転倒した。誕生会や村山家の祭礼には編集幹部がこぞって参加し、お祝いの言葉を述べた。しかし、子どものいない美知子社主が高齢になるにつれ、朝日株の行方が焦点になる。朝日経営陣は、あの手この手を使い、美知子社主から株を手放させようと画策した――。

その最晩年に「秘書役」となった元事件記者が、朝日新聞最大のタブーを赤裸々に明かす。朝日経営陣は、どうやって村山家から株を手放させたのか。巨額の税金をどのように処理したのか。朝日新聞株が外部に流出する可能性もあった、最大の危機とは。新聞、メディア経営の深奥に迫る、驚愕の書。

出典:講談社BOOK俱楽部

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