『日本人論の方程式』杉本良夫、ロス・マオア(ちくま学芸文庫)
1995年1月9日初版発行
347頁
目次(収録作品)
Ⅰ 日本人論再考への意義
第1章 太平洋を囲む三角形の中で
第2章 世界的展望の中の日本人論
Ⅱ 戦後日本人論の系譜
第3章 海外でのジャパノロジー
第4章 日本での日本人論
第5章 同質同調論と分散対立論の分布
Ⅲ 日本人論への疑問
第6章 実証的観察による疑問
第7章 知識社会学から見た日本人論
Ⅳ 日本人論の方法論的問題点
第8章 比較社会学の方法論的基礎
第9章 日本人論の方法論的立脚点
第10章 方法論から見た同質同調論的日本人論
Ⅴ 新しいパラダイムへの布石
第11章 あべこべ日本人論
第12章 多元的階層モデルの構築
第13章 多元階層的モデルから見た日本の断面
Ⅵ 国際化時代の中の日本人
第14章 民族的世界主義への展望
第15章 民族化時代にふさわしい日本論への道筋
日本人は「日本的」か? 日本人論をつぎつぎと分析してその論理的ほころびを剔出し、特殊論を超えた多元的分析の展望を拓く。
出典:筑摩書房公式サイト
本書は『日本人は「日本的」か』を増補(第15章)、改題して文庫化したもの。
本書は、著者が新聞や雑誌に発表した日本人論・日本論を批判的した論文を一書に編集したもの。
多くの日本人論・日本論は、性別・年齢・学歴・階層等を考慮していなかったり、論者が主張したい論に都合のよい例を根拠に、それを一般化したりしていて牽強付会である等々批判している。(この点に関しては全くその通り。多くのいわゆる「日本論」は、学問的なものではない。ただ、興味深く書かれていれば一つの読み物としては十分価値はあるのはもちろんである。)
筆者は、もっと調査データなどを示して批判的に論じているのかと思ったが、そのような論述はあまりない。
それと、所々にみられる著者のコスモポリタン的思想には賛同できないが、本論ではないので一言の言及だけにしておく。(下記[筆者注]に一部を示しておく。)
[筆者注]
(p.19、表)「フラタンティー」。フラタニティーの誤植。
(p.137)
〔インドネシア難民問題にしても、「日本は特別な単一民族社会で、異民族受け入れの伝統がない」などという主張がよく行われたが、今世紀の前半、朝鮮半島や中国大陸から低賃金労働者を連れて来たときには、こういう弁解は使われなかった。」
難民と契約を結んで働く労働者を同列に論ずるのはおかしい。
(p.286)
「国家の間には、旅券があり、査証がある。国籍法があり、入管法がある。こうした複雑な仕組みを強化することによって、国家組織は自らの定義する”危険人物”やある種の人種・民族に属する人たちの自由な国家間移動を阻んできた。その結果、実に多くの人たちが、生まれ育った社会に幽閉状態に置かれるという事態が続いている。」
(p.288)
「国際人になるということは、日本人である前に、世界人であることを先行させることではないだろうか。世界が国家という人為的な機関によって裁断されている以上、人類共同体の一員として暮らしていくためには、日本の国権をもふくめた世界のすべての国家権力に対して懐疑を持つことが最低条件となる。」
筆者の考えは全く逆、国際人・世界人である前にしっかとした日本人になるべきである。そうでなければ、まともな国際人にもなれない。
[関連・参考]
『日本人は「日本的」か―特殊論を超え多元的分析へ』杉本良夫、ロス・マオア(1982・ 東洋経済新報社)
amazon
『日本人論に関する12章』杉本良夫、ロス・マオア編(ちくま学芸文庫)