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『はざまの哲学』野家啓一(青土社)

『はざまの哲学』野家啓一(青土社)

2018年
342頁



どちらでもあり、どちらでもない、哲学的思索のラディカリズム。
未知と既知、科学と哲学、事実と虚構、記憶と忘却。背反するどちらか一方に定位するのではなく、その〈はざま〉で紡がれた思索が、わたしたちの日常に深く根ざした「真理」や「常識」に揺さぶりをかける。科学哲学、分析哲学、現象学、物語り論の境界線上に、しなやかな文体で刻まれた、哲学的探究の軌跡。

出典:青土社公式サイト

はざまの哲学

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目次(収録作品)

はじめに 「はざま」の作法

Ⅰ 未知と既知のはざま――哲学のために
1 哲学とは何か――科学と哲学のはざまで
未知と既知のあいだ
自然哲学から自然科学へ
自然主義と心脳因果
コスモロジーの復権
おわりに

2 哲学のアイデンティティ・クライシス
哲学は何の役に立つのか?
「有用性」とスローサイエンス
哲学無用論(Ⅰ)――自然主義の挑戦
哲学無用論(Ⅱ)――ローティの「哲学の終焉」論
哲学に何ができるか

Ⅱ 科学と哲学のはざま――科学哲学
3 「真理」の構成的側面――プラトニズムとニヒリズムのはざまで
等身大の真理を求めて
言語行為論
パラダイム論
直観主義
「人間の顔」をした真理

4 マッハ科学論の現代的位相――実証主義と反実証主義のはざまで
マッハ評価の推移
マッハと世紀末思想
「実証主義」への反逆
『感覚の分析』と現象学
「物理学的現象学」の構想

5 科学と形而上学のはざまで――ホワイトヘッド『科学と近代世界』再読
精密さはつくりもの
ホワイトヘッドの科学革命論
科学と形而上学
物語り論と因果性

Ⅲ 言語と哲学のはざま――現象学と分析哲学
6 フッサール現象学と理性の臨界――近代と脱近代のはざまで
最後のデカルト主義者
理性の不安
「乏しき時代」の哲学者
身体・地平・大地
「故郷世界」としてのヨーロッパ
遺産相続人たち

7 言語の限界と理性の限界――分析哲学からポスト分析哲学へ
理性批判と理性の危機
言語批判と言語の限界
ポスト分析哲学への道

8 「分析哲学」私論――親和と違和のはざまで
居心地の悪さ
分析哲学=科学哲学?
分析哲学vs. 大陸哲学
ポスト分析哲学
私にとっての分析哲学

Ⅳ 科学と社会のはざま――科学技術社会論
9 「情報内存在」としての人間――知識と情報のはざまで
情報の「意味」と「価値」
情報の語用論
情報の人間学

10 科学技術との共生――技術主義と精神主義のはざまで
科学・技術・科学技術
科学者のエートス――CUDOSとPLACE
科学技術とリスク社会
科学的合理性と社会的合理性
科学技術のシヴィリアン・コントロール

Ⅴ 記憶と忘却のはざま――東北の地から
11 東北の地から――震災と復興のはざまで
哲学に何ができるか
災害ユートピア
風土と「殺風景」
宮沢賢治と物語の力
信頼の危機
トランス・サイエンスの時代
「リスク社会」を生きる
受益圏と受苦圏
世代間倫理と「七世代の掟」
「CUDOS」から「RISK」へ

12 「今を生きる」ということ――記憶と忘却のはざまで
良寛の言葉
物語の力
トランス・サイエンスの時代
未来世代への責任

おわりに

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