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『行動の構造』モーリス・メルロ=ポンティ(みすず書房)

『行動の構造』(上下)モーリス・メルロ=ポンティ、滝浦静雄・木田元訳(みすず書房)

上巻
2014年
264頁

下巻
2014年
248頁

「フランスの現代の思想家のあいだでは、全自然を意識の面前で構成される客体的統一とする哲学と、有機体と意識を実在のふたつの秩序として扱い、その相互関係においてはそれらを〈結果〉や〈原因〉として扱う諸科学とが、並存している。解決は、たんに批判主義に還ることにあるのだろうか。そして、ひとたび実在的分析や因果的思考の批判がなされてしまえば、科学の自然主義のなかには根拠あるものは何もなくなるのであろうか、つまり超越論的哲学のなかに〈包含〉され移されたばあい、そこに自己の位置を見いだすべきものは何もないのであろうか。
われわれは〈下から〉出発し、また行動の概念の分析を通して、そうした問題に到達するであろう。この行動の概念は、われわれには重要なものである。なぜなら、その概念をそれ自身において考えるならば、それは〈心的なもの〉と〈生理的なもの〉との古典的区別にたいして中立的であり、したがってそういった区別をあらためて定義しなおす機会をわれわれに与えうるものだからである」

1942年、ドイツ占領下のフランスで刊行され、その3年後の大著『知覚の現象学』とともに学位論文として提出されたメルロ=ポンティのデビュー作。パヴロフ、ワトソン、ケーラー、コフカをはじめ同時代の生理学、行動主義心理学やゲシュタルト心理学の成果を精緻かつ批判的に検証。「〈意識〉と〈自然〉との関係」、行動における有機体と環境との構造的連関を浮かびあがらせながら、批判主義的反省が閉ざす知覚の新たな哲学的次元を指し示した本書は、「行動科学を基礎づける存在論」の先駆的試みである。全2巻。下巻巻末に解説(加國尚志)を付す。

出典:みすず書房公式サイト


上巻
目次(収録作品)

両義性の哲学  アルフォンス・ド・ヴァーレン
序論
第1章 反射行動
〈序論〉 生理学における客観性の定義と反射の古典的概念。実在的分析と因果的説明の方法
〈第1節〉 反射の古典的考え方と補助仮説
(1) いわゆる「刺激」というもの
(2) 興奮の場所
(3) 反射回路 
* 反射の化学的・体液的・植物的条件/大脳と小脳の条件/制止と統合、統制と統御の概念/神経系の階層的な考え方/同時的諸反応への反射の依存/先行反応への依存。放散、反射の逆転、ウェーバーの法則および閾の概念
(4) 反応
* 要約/秩序の問題。解剖学的秩序と生理学的秩序
〈第2節〉 ゲシュタルト学説における反射の解釈
(1) 凝視反射。興奮の相互関係およびその反応との関係
(2) 帰結
(3) この帰結の検証。とくに半盲症における機能の再組織と代償
(4) 反射の生物学的意味
〈第三節〉 結論
(1) 〈形態(ゲシュタルト)〉というカテゴリー
(2) 形態(ゲシュタルト)というカテゴリーは余計であろうか、そして生理学が十分に発達すれば、活動は物理的タイプの諸関係の交錯に還元されるであろうか
(3) 形態(ゲシュタルト)と合目的性。記述的カテゴリーとしての秩序

第2章 高等な行動  
〈第1節〉 パヴロフの反射学とその諸要請
* 反射学は行動の記述を予想する。生理学における物理‐化学的分析と行動の分析
〈第2節〉 行動の「中枢領域」と機能局在の問題
(1) 機能局在の問題において一般に認められているいくつかの結論
* 疾患の分析——構造の障害/全体的活動とモザイク的活動/折衷的局在論と機能的平行論
(2) これらの結論の解釈——統制の概念はこれらの結論を説明するに十分であろうか
* 空間知覚における統制と「像の視差」/色彩知覚における統制——「色彩的基準」/言語の生理学における統制/統制概念の多義性
(3) 結論
* 生理学上の経験主義と主知主義への反論/中枢現象におけるゲシュタルト/だが、ゲシュタルトとは何か〉
〈第3節〉 行動の構造
(1) 学習を、神経系における相互に外的な出来事の連合として解釈するわけにはいかない
(2) 行動の構造の記述
(A) 癒合的形態——癒合的形態と本能
(B) 可換的形態 
* 信号——空間的関係および時間的関係/動力学的および静力学的関係
(C) 象徴的形態
〈結論〉
* 条件反射の意味——病的現象かあるいは高等な活動か/行動と実存

下巻

第3章 物理的秩序、生命的秩序、人間的秩序  
〈序論〉 ゲシュタルト学説は、実体論のもつさまざまな二律背反を乗りこえようとする。が実際は「ゲシュタルト」についての哲学的分析を欠いているため、ふたたび実体論に逆もどりしている
〈第1節〉 物理学における構造
(1) 実証主義に反対して、物理的世界にも構造があると主張するのは、いかなる意味で正しいか
(2) しかし構造は、「自然」の「なか」にあるのではない
(3) 構造は意識にとって存在する

〈第2節〉 生命的構造
(1) 物理的系にたいする生命的ゲシュタルトの独自性。新しい弁証法の契機としての有機体と環境
(2) 「理念」としての有機体
(3) 有機体における、機械論‐生気論の二律背反を越えた意味の統一  47
〈第三節〉 人間的秩序
(1) 意識の生活
* 意識と行為との関係は、現代でもやはり外的に考えられている。知覚理論に関する現代のさまざまの帰結/初発段階の知覚の諸性格。それは対象よりも人間的意図に集中され、真理を認識するよりも現実を体験するものである/意識の構造についてのさまざまの結論。さまざまの種類の志向性および現実意識
(2) ほんらいの人間的意識
(3) 心理学における因果的な考え方にたいする反論。構造の用語によるフロイト主義の解釈
(4) 「心的なもの」とか精神というのは、実体ではなくて弁証法ないし統一形式である。——「唯心論」と「唯物論」の二者択一をいかにして超克すべきか。——行動の構造としての「心的なもの」
〈結論〉 これまでの分析の二重の意味。この分析は批判主義的結論を認めるのであろうか

第4章 心身の関係と知覚的意識の問題
〈第1節〉 古典的回答
(1) 素朴的意識とその経験的実在論
(2) 感覚的なものについての哲学的実在論
(3) 科学の似而非デカルト主義
(4) 知覚的意識のデカルト的分析
(5) 批判主義の考え方。知覚の主知主義的理論によって解答された心身関係の問題
〈第2節〉 自然主義というものには一理もないのか
(1) これまでの諸節が超越論的態度に導くというのは、いかなる意味においてか。——意味の三秩序として定義された〈物質〉・〈生命〉・〈精神〉
(2) しかし、われわれの結論は批判主義的なものではない
(3) 意味の場としての意識と体験流としての意識とは区別すべきである
(A) 外的知覚  
* 物という現象/自己の身体という現象/根源的経験としての知覚野への還帰。誤謬ではあるが一理ある実在論
(B) 誤謬というものと心的および社会的構造
(4) 構造と意味。知覚的意識の問題

原注/訳注

訳者あとがき
《始まりの本》版によせて  木田元
解説  加國尚志

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