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『日本的人間』山中峯太郎(錦城出版社)

『日本的人間』山中峯太郎(錦城出版社)

1942年7月20日初版発行
250頁

目次(収録作品)

動静一如
一世一代
決して死なぬ
肉体克服
退治の要訣
気力
〔ほか〕

著者は、小説家。(1885-1966)

本書は、歴史上の人物の興味深いエピソードや教訓、箴言のようなものを多数並べた一書。一話一話は、断章的でごく短い。
平易で中学生でも読める。なかなかおすすめ。
興味深かった話を二つ引用する。なお、山中峯太郎の著作権は消滅している。

(p.19~)

 身に聞く

 下野の城主、天徳寺了伯が、琵琶法師を招いて、家臣と共に聞いた。曲は平家物語のうち、佐々木高綱の宇治川先陣、那須宗高の扇の的、聞いているうちに了伯は、潜然と涙にむせんで、しきりに懐紙を顔にあてていた。
後日、家臣に、
「先日の琵琶は、いかがであったか」
所感をきいてみると、
「ハッ、壮快なる先陣と、扇の的へ矢を射あてました功名、二曲とも興味この上もなく、聞きとれました。君にはお泣き遊ばしましたが、一同、今もって不思議に存じております」
了伯、興ざめした面持ちで云った。
「そうか。わしは、高綱が宇治川に先陣し得なかったら、宗高が扇を射損じたら、共に自分を覚悟しておったに違いない。その心を思うと、涙がこぼれた。お前たちは、いかな話でも、身をもって聞くことを知らぬのじゃな」
 まして命令、用談、身をもって本心で聞くが要諦である。

(p.36)

形式

 昔、江州の孝行者が、自分は世間から孝行だと賞められるが、まだ十分ではない。信州に大の孝行者があるというから、往って修業しようと思い、わざわざ出かけて行った。
 その家をたずねて、暫く待っていると、伜(せがれ)が柴を背負って帰って来た。家へ入るや否や、老母は出て柴を降してやる。伜は平気で老母に柴の始末の手伝いをさせている。
 その態度を見て、江州の者はこれは変だと思っていたが、続いて老母は伜の草鞋の紐を解いてやる。おまけに足まで洗ってやる。
 この様子を見て、「親孝行などとはとんでもないことだ。世間の評判など当てにならぬ」と憤慨した。すると、その男が、今度は疲れたといって、ゴロリと横になった。老母は足をもんでやった。
 この態度を見た江州者は、もはや我慢できず、
「自分は孝行の修業に来たのである。ところが今迄の様子を見ていると、孝行どころか、むしろ親不幸である。実にとんでもない奴だ。」
 真赤になって呶鳴(どな)った。
 すると伜はいった。
「自分は孝行とはどんなものか知らないが、私の母は、草鞋の紐を解いたり、足を揉んでくれるのを喜んでいるのだ。もしそれを断ると大そう機嫌が悪い。わしは何でも母の云う通りになっているのだ」
 江州の孝行者は、ハタと膝を打って、
「なるほどわかった。自分のこれまでの孝行は、いかにも形式であった」
 いたく感じたという。

※新字新かなに改めた。また、一部読みを補った。


[関連・参考]
『GHQ焚書図書開封12』西尾幹二(2016・徳間書店)

GHQ焚書図書開封 第179回 動靜一如
ニコニコ動画

『復刻版・現代語訳 日本的人間』山中峯太郎(2025・ダイレクト出版)302頁
amazon

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