『小泉八雲作品集2 随想と評論』(全3巻)小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(河出書房新社)
ハードカバー・函入
1977年4月15日初版発行
1988年3月25日再版発行
337頁
目次(収録作品)
停車場にて(AT A RAILWAY STATION)平川祐弘訳(3rd『Kokoro』)
夏の日の夢(The Dream of a Summer Day)仙北谷晃一訳(2nd『Out of the East』)
橋の上(On a Bridge)平川祐弘訳(8th『A Japanese Miscellany』)
人形の墓(NINGYŌ-NO-HAKA)平川祐弘訳(4th『Gleanings in Buddha-Fields』)
焼津にて(At Yaidzu)森亮訳(6th『In Ghostly Japan』)
乙吉の達磨さん(Otokichi’s Daruma)(8th『A Japanese Miscellany』)
草ひばり(Kusa-Hibari)森亮訳(9th『Kotto』)
日本人の微笑(The Japanese Smile)平川祐弘訳(1st『Glimpses of Unfamiliar Japan』)
永遠の女性(Of the Eternal Feminine)仙北谷晃一訳(2nd『Out of the East』)
日本文明の精神(The Genius of Japanese Civilization)酒本雅之訳(3rd『Kokoro』)
日本美術に描かれた顔について(ABOUT FACES EN JAPANESE ART)仙北谷晃一訳(4th『Gleanings in Buddha-Fields』)
日本の俗謡にみられる仏教的なもの(BUDDHIST ALLUSIONS IN JAPANESE FOLK-SONG)(同上)
死者の文学(The Literature of the Dead)仙北谷晃一訳(5th『Exotics and Retrospectives』)
蛙(Frogs)仙北谷晃一訳(同上)
螢(Fireflies)仙北谷晃一訳(9th『Kotto』)
私の守護天使(My Guardian Angel)平川祐弘訳(10th『kwaidan』)
ひまわり(Hi-mawari)平川祐弘訳(同上)
ゴシックの恐怖(Gothic Horror)平川祐弘訳(7th『Shadowings』)
美は記憶なり(Beauty is Memory)仙北谷晃一訳(5th『Exotics and Retrospectives』)
美の悲哀(Sadness in Beauty)(同上)
夜光るもの(Noctilucae)仙北谷晃一訳(7th『Shadowings』)
塵(Dust)仙北谷晃一訳(4th『Gleanings in Buddha-Fields』)
露の一滴(A Drop of Dew)森亮訳(9th『Kotto』)
蓬萊(Hōrai)仙北谷晃一訳(10th『kwaidan』)
解説 仙北谷晃一
小泉八雲の作品を邦訳したアンソロジー。エッセーと論考に分類される作品を選んで収めている。ただ、ハーンの作品は小説・随筆・論考が混交したようなものが多く、作品によってそれぞれの濃さが違っているという風で、きれいに分類はできない。本書には、掌編小説に分類してもよい作品も収録している。
平明な訳でよい。なかなかおすすめの本。
気になった点。
(p.64)「草ひばり」
「極めて小さい生命を死なせたことが、考えられぬくらいにひどく私を苦しめた。……生き物の願望を、たとえこおろぎ一匹の願望でも、これを考えてやるというちょっとした習慣が、それが我が事のように思われる関心を――その関係が断ち切られたとき初めて気付く一種の愛着を小刻みに私たちの胸につくりだすことがあるのだ。」
ここは、原文も分かりにくいのだが、「生き物の願望を」からの文章は意味が分からない。原文と意味はとれる大谷正信訳を示しておく。
The quenching of that infinitesimal life troubles me more than I could have believed possible. … Of course, the mere habit of thinking about a creature’s wants—even the wants of a cricket—may create, by insensible degrees, an imaginative interest, an attachment of which one becomes conscious only when the relation is broken.
「あの無限小な生の消滅がこんなにもあろうと信じ得られなかった程に、自分の心を悩ます。……固よりの事、ある動物の――蟋蟀のでも――その欲求について考えるというただの習慣が、知らず識らず次第に、一種想像的関心を――関係が絶えてから始めて気の付く一種の愛着の念を――生むのかも知れぬ。」(大谷正信訳)
(原文は旧字旧かなだが、新字新かなに改め、表記をすこし変えた)