『文学評論』(西尾幹二全集9)西尾幹二(国書刊行会)全22巻
2014年
808頁
目次(収録作品)
初期批評
批評の二重性
現代小説の問題(付・二葉亭四迷論)大江健三郎と古井由吉
日常の抽象性
開高健『夏の闇』をめぐって
観念の見取図
丸谷才一『たった一人の反乱』と山崎正和『鷗外闘う家長』
日本文学管見
日本人と時間
『平家物語』の世界
『徒然草』断章形式の意味するもの
人生批評としての戯作
新戯作派と江戸文学
本居宣長の問い
明治初期の日本語と現代における「言文不一致」
漱石『明暗』の結末
芥川龍之介小論
漢字と日本語
わたしの小林秀雄
現代文明と文学
智恵の凋落
批評としての演出
シェイクスピア『お気に召すまま』
愚かさの偉大さ
黒沢明『乱』とシェイクスピア『リア王』
オウム真理教と現代文明
ハイデッガー「退屈論」とドストエフスキー『悪霊』などを鏡に
韓非子の説難
歴史への畏れ
便利すぎる歴史観
司馬遼太郎と小田実
現代の小説
80年代前半の日本文学
老成と潔癖
現代小説を読む
「敗戦」像の発見
明るい自由な時代の不安
文学研究の自立は可能か
作品とその背後にあるもの
作家論
高井有一
柏原兵三ⅠⅡⅢ
小川国夫
上田三四二
綱淵謙錠
手塚富雄
江藤淳ⅠⅡⅢ
石原慎太郎
掌篇
大岡昇平全集の刊行にふれて
平野謙と批評家の生き方
「近代文学」について
文壇の内と外
三島由紀夫『青の時代』について
一度だけの思い出
ツルゲーネフ『父と子』
私の読書遍歴
私が出会った本
ニーチェ『悲劇の誕生』と福田恆存『人間・この劇的なるもの』
ドイツ文学を選んだこと
トナカイの置物
加賀乙彦とソ連の旅
柏原兵三の文学碑
近代文学
この一篇
一九八八年文壇主要作品論評
「新潮」(1988年1―3月、同10月)
告白の抑制
辻井喬『暗夜遍歴』
言葉の届かぬ領分||高井有一「浅い眠りの夜」『塵の都に』
健康な、余りに健康な
野坂昭如『赫かく奕やくたる逆光』
自然人の強靭な生命力
八木義徳『遠い地平』
生の暗部への対応
黒井千次『たまらん坂』、田久保英夫『緋の山』
「海燕」(1988年9月―89年2月)
主題不在の変奏
吉本ばなな『うたかた╱サンクチュアリ』、丸谷才一「樹影譚」
時代の映像
安岡章太郎『僕の昭和史Ⅲ』、新井満『尋ね人の時間』
日常と深淵のはざま
色川武大『狂人日記』、石原慎太郎『生還』
世界像の明暗
中野孝次『夜の電話』、村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』
陰画の必然性
阿部昭『父と子の連作』、坂上弘『突堤のある風景』
文芸時評
「季刊芸術」(1970年1―3月)
「日本読書新聞」(1972年1―6月)
文芸時評のこと
共同通信配信(1981―84年抄録)
文芸時評家対談・座談会の記録一覧
書評
評論
小林秀雄『感想』
桶谷秀昭『保田與重郎』
入江隆則『幻想のかなたに』
秋山駿『魂と意匠ー小林秀雄』
『山口剛著作集』全六巻
高橋義孝『文学非芸術論』
ベーダ・アレマン『イロニーと文学』
島崎博・三島瑤子編『定本三島由紀夫書誌』
小説
芝木好子『隅田川暮色』╱『貝紫幻想』
竹西寛子『春』╱『読書の歳月』
上田三四二『花衣』╱『惜身命』
古山高麗雄『小さな市街図』
井上靖『本覺坊遺文』
柏原兵三『独身者の憂鬱』╱『ベルリン漂泊』
高井有一『遠い日の海』╱『夜の蟻』
立松和平『歓喜の市』
辻井喬『暗夜遍歴』
中野孝次『はみだした明日』
追補1
桶谷秀昭・西尾幹二対談
戦後三十年と三島由紀夫
追補2
江藤淳・西尾幹二対談
批評という行為
小林秀雄
没後10年
後記