『身体感覚で『論語』を読みなおす。―古代中国の文字から』安田登(新潮文庫)
平成30年(2018)7月1日初版発行
334頁
定価:605円(税込)
著者は、能楽師、ロルファー。
『論語』は、孔子の言行、弟子たちとの問答などをのちの時代にまとめたものなので、孔子が生きた時代には無い漢字が使われている。そのせいで、本来孔子が言いたかったことと違っていたり、ずれが生じていたりするのではないか。その点を甲骨文・金文の文字を白川静の漢字学などを踏まえ検証し論ずる。また、能楽師としての経験に引き合わせて考察している。
2009年刊の単行本の文庫版だが、きちんと写真や図が収められているのがよい。
それから、『論語』から引用して解説する部分はもちろんのこと、文中で論語のことばにすこし言及している箇所でもほぼ全て訓み下し文を添えているのが、素晴らしい。
おすすめの本。
参考文献一覧もついている。論語を研究する人は必読。
著者はきちんとした研究態度で、事実、自分の解釈・想像をはっきりさせているし、おかしな断定もしていない。
ただ、下記の引用の部分は気になった。
(p.228)
王の性格は祭りの主祭者から、「主宰者」、すなわち神へと変わります。生贄を殺したとき、王は自分自身をも殺します。王は個人である〈私〉を捨てる。そこに〈私〉がないからこそ、神は王に降りてくるのです。神となった王は〈私〉の意識を捨てて、共同体の意志そのものとなる。私利私欲のために生きる私たちのような民衆ではなく、共同体の幸せのためだけに奉仕する聖なる存在になるのです。これまでのすべての儀礼は、王がそのような個人の意識を捨てて、共同体の意志そのものになるためのものでした。
このように言い切っている。筆者はくわしく知らないが、もしかしたらその筋の学問・研究ではこれらは定説なのかもしれない。ただ、そうだとしても「説」であるのでこの断定はいかがか。根拠は何なのだろうか。(p.234~も似たような箇所がある)
ところで、筆者は、だいぶ前にラジオで著者と本書(の単行本版)を知って非常に興味を持っていた。以下に紹介しておく。
[関連]
『身体感覚で『論語』を読みなおす。―古代中国の文字から』安田登(2009・春秋社)単行本、定価:1,870円(税込)
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『『論語』は不安の処方箋』安田登(2024・祥伝社黄金文庫)
(※本書を加筆修正し改題した新版)
「ラジオ版 学問ノススメ」安田登(2010年)(※音声ファイルが開かれます)