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「十二月八日」

「十二月八日」(『初等科國語 六』(1943・文部省))

昭和十六年のこの日こそ、われわれ日本人が、永久に忘れることのできない日である。
 この朝、私は、ラジオのいつもと違つた聲を聞いた。さうして、
「帝國陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、米英軍と戰鬪状態に入れり。」
といふ臨時の知らせを聞いて、はつとした。
 私は、學校へ急ぎながらも、胸は大波のやうにゆれてゐた。勇ましいやうな、ほこらしいやうな、それでゐて、底の底には、何か不安な氣持があることを知つて、
「いつ、米英の飛行機が飛んで來るかも知れないのに、こんなことでどうするか。」
と、自分で自分をはげました。
 朝禮てうれいの時間に、校長先生から、戰爭の始つたことについてお話があつた。
「東亞におけるわがくにの地位を認めず、どこまでも横車を押し通さうとした米國、及び英國にたいして、日本は敢然と立ちあがつたのです。いよいよ、來るものが來たのです。私たちは、もうとつくに、覺悟がきまつてゐたはずです。」
 初冬の澄みきつた日ざしが、運動場を照らし、窓を通して敎室にさし込んでゐた。
 四時間めに、みんなは講堂へ集つた。さうして、その後のやうすをラジオで聞いた。「ハワイ空襲。」とか、「英砲艦撃沈。」とか、「米砲艦捕獲。」とか、矢つぎ早の勝報である。みんな、胸にこみあげるうれしさを押さへながら、熱心に聞き入った。
 おひる過ぎには、おそれ多くも今日おくだしになつた宣戰の大詔が、ラジオを通して奉讀ほうどくされた。君が代の奏樂ののち、うやうやしく奉讀されるのを、私たちは、かしこまつて聞いた。
 おことばの一言一句も、聞きもらすまいとした。そのうちに、私は、目も、心も、熱くなつて行くのを感じた。
 「天佑テンイウヲ保有シ萬世一系ノ皇祚クワウソメル大日本帝國天皇」と仰せられる國がらの尊さ。この天皇の御ためなればこそ、われわれ國民は、命をささげ奉るのである。さう思つたとたん、私は、もう何もいらないと思つた。さうして、心の底にあつた不安は、まるで雲のやうに消え去つてしまつた。
「皇祚皇宗ノ神靈シンレイ上ニ在リ。」
と仰せられてゐる。私は、神武天皇の昔、高倉下たかくらじ神劒しんけんを奉り、金のとびが御弓の先に止つたことを思つた。天照大神が、瓊瓊杵尊ににぎのみことにくだしたまうた神勅を思つた。神樣が、この國土をお生みになつたことを考へた。
 さうだ。私たち國民は、天皇陛下の大命を奉じて、今こそ新しい國生みのみわざに、はせ參じてゐるのである。勇ましい皇軍はもとより、國民全體ぜんたいが、一つの火の丸となつて進む時である。私たち少國民も、この光榮ある大きな時代に生きてゐるのである。
 私は、すつかり明かるい心になつて、學校から歸つた。
 うちでも、母は、ラジオの前で戰況に聞き入つてゐた。
「おかあさん、私は、今日ほんたうに日本の國のえらいことがわかりました。」
といふと、母も、
「ありがたいおことばを聞いて、まるであめの岩戸があけたやうな氣がしますね。さあ、私たちも、しつかりしませうよ。」
といつて、目に涙をためながら、じつと私を見つめた。

出典:Wikisource


『初等科国語 六』コマ番号29~(国立国会図書館)

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