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『日本語をみがく小辞典〈名詞篇〉』森田良行(講談社現代新書)

『日本語をみがく小辞典〈名詞篇〉』森田良行(もりた・よしゆき)(講談社現代新書873)

1987年10月20日初版発行
242頁




目次(収録作品)

1 人間・社会(兄弟/妻/親/主/私/世/国/家/部屋/窓)
2 身体・感覚(顔/目/頭/身/手足/姿/音/色/匂い/味)
3 天地・自然(風/雨/靄/山/海/水/火/花/獣/鳥/虫/魚)
4 時間・位置(闇/光/日月/昼夜/朝夕/方位/序列/部分)
5 思考・人生(数/言葉/祭/業/旅/縁/命/夢)


著者は国語学者。

目次の言葉をテーマにエッセー風に論じた本。
書名に「辞典」とあるが索引もついていなく全く辞典ではない。

「ことば」に関心がある人は、一読しても悪くはない本。


おかしいと思ったところをいくつか指摘する。

和歌などのふりがなが歴史的仮名づかいでない箇所があり、おかしい。

著者は、「日本語は、自分も、相手も、第三者も、同じ線上に並べて対象を客観的にとらえるようなドライなことばではな」いので、自己中心的で大いに問題である(p.45)と指摘しているのだが、これは暴論である。
古代からの日本語には自分を指す言葉はあっても、はっきりと相手を示すheやsheの言葉がなく、場所や方向を示す指示語―あなた、どちら、こちら等を用いているから自己中心的でよくない。加えて、日本はタテ社会であり、上位者中心のとらえ方をするのも問題だ、と述べる。

この人は「万人の万人に対する闘争」というのを知らないのだろうか。日本以外の多くの国の歴史は、まさにこれである。我が国はそうでなかったから現存する世界最古の国になっているのである。どこが自己中心的か。殺し合いばかりしていた人びとこそが自己中心的であろう。
また、我が国以外の多くの国は階級社会である。日本は昔から、それよりもずっとゆるい階層社会であるというのは、すこし見識のある者なら常識の範疇である。もし日本のヒエラルキーが悪ならば、他国のずっと強固なヒエラルキーは、「極」がいくつも付く悪にならないとおかしい。ことさら日本のタテ社会が問題だと言うのは、まったく公平な見方ではない。

p.82

時代劇で、お殿様から仰せを賜わって「は、は、有難きしあわせ」と、その内容のよしあしにかかわりなく頭を下げる。あれは目上に対する礼儀から、何でも有難い喜びとして受け止めなければならなかった悲しい性(さが)だ。

目上の人から賜わったら(我が国以外でも)古今東西そうするのが礼儀であり、ただそれだけのことである―現代でも封建時代でも。なにが「悲しい性」なのか。

※シリーズ3冊をまとめた角川ソフィア文庫版が刊行された。(こちらには索引があるようだ(「目次」での確認のみ)

[関連]
『日本語をみがく小辞典〈動詞篇〉』森田良行(講談社現代新書)

『日本語をみがく小辞典〈形容詞・副詞篇〉』森田良行(講談社現代新書)

『日本語をみがく小辞典』森田良行(2019・角川ソフィア文庫)

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