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広田外相演説(大阪時事新報)

広田外相演説(大阪時事新報夕刊 昭和12年(1937)9月6日)

(原文は旧字旧かな。句読点を加えたり、送り仮名を補ったりなど一部表記を変える)


支那為政者速に反省
我が理想に順応せよ

貴院本会議席上 広田外相演説

事変勃発以来、帝国政府は、現地解決事態不拡大の方針に基き南京政府の速なる反省を求め、時局の収拾に努力し来ったのであるが、南京政府は毫も誠意を示さず益々中央軍を北支に集中して我方に挑戦し来るとともに、揚子江流域及び南支各地においては陰険極まる排日を行い、以て是等地方における我が在留民の平和的活動は固より、その生存をすら危殆ならしむるに立至った。斯かる状態の下においても、帝国政府はなお出来得る限り事態の平和的収拾を期し、漢口を初め長江流域在留邦人を全部引揚げしめたのである。

其の後偶々八月九日上海において、我が陸戦隊大山中尉及斎藤水兵が、支那保安隊の為無残に殺害せらるるに至ったが、我方においては尚努めて平和的解決の方針を以てこれに処し、右保安隊の急速なる撤退、並に昭和七年の停戦協定に違反する各種軍事施設の撤去を求め、以て事態の収拾を図らんとしたのである。然るに支那側においては、言を左右に託して之に応ぜざるのみならず、益々停戦区域内におけるその兵力並に軍事施設を増大し、我方に対して不法にも攻撃に出でた為、帝国においては已むなく応急の措置として少数の海軍兵力を上海に増遣し、以て我が居留民保護の責を全うせんことを期したのである。

斯の如く上海の形勢不穏に立至るや八月十一日在南京英米独仏伊の五箇国大使は、日支双方に対し、上海における外国人の生命財産の安全を計るため、同地を戦火の巷となさざる様出来得る限りの措置を講ぜられ度き旨申出たのである、右に対し帝国政府は、上海における内外人生命財産の安全は、固より我方においても最も顧念するところであるが、是がためには、租界附近に進出し我方に脅威を与えつつある支那正規軍及び保安隊を交戦距離外に撤退せしめ租界附近の軍事施設は之を撤収することが先決問題で、支那側が右条件を受諾するに於ては、我方陸戦隊の配備をも亦常態に復するの用意ある旨を答え関係列国に於て先ず支那側をして、右条件を受諾せしむる様在支大使をして五国側に申入れしめたのである。然るに支那は右我方の応急適切なる条件に対し耳を傾けなかったのであるが、続いて八月十三日には更に在上海英米仏三国総領事より交戦停止方に関する一具体案を示し、日支間に直接交渉を行い、目前に迫った危機を回避する様日支双方に申出があり、右申出は八月十三日夜半東京に接到したが支那側は右に拘わらず続々上海附近に正規軍を進出せしめ、既に同日午後より攻撃を開始し、十四日に至っては遂に我が陸戦隊及び軍艦並に総領事館のみならず、租界内随所に爆弾を投下するの暴挙に出でたため事茲に至っては帝国としても、最早平和的収拾の望を捨て、三万に垂んとする我が居留民保護の為、遂に戦闘を行わざるを得ざるに至った次第であって、関係外国の努力も支那側の暴挙により、一瞬にして水泡に帰したのは誠に遺憾に堪えないところである。

此の如く上海一帯は戦火の巷となった結果、該地に莫大の投資と多数の居留民とを有する関係各国は自然之に対し重大なる関心を示すに至り、英国よりは、更に八月十八日「日支両国政府が双方の兵力を撤退し、共同租界及び越界絡在住日本臣民の保護を外国側に委任するに於ては、英国政府は他の列国が英国と共に同一行動に出づる限り、右責任を取るの用意ある」旨申出で、仏国政府も又翌十九日右英国政府の申出を支持する旨申出でたが、これより曩、米国政府よりも上海における戦闘停止方に付希望を述べ来ったのである。帝国としても之等諸国と同様、上海には重大なる利害関係を有するに鑑み、出来得る丈け同地の平穏を冀念する次第であるが、今次上海における支那側の行動は昭和七年の上海停戦協定に違反し、濫りに正規軍を協定地域内に入れ、保安隊の数次武装を増強し衆を頼んで我軍民に挑戦し来った次第であるので前記英国政府の申出に対しては、我方従来の平和的努力並に支那側の不法攻撃の実状を詳述し、上海に於ける戦闘は支那側が直に右正規軍を協定地域外に撤退し、保安隊を前線より遠ざくることに依り終熄する外なき旨を回答し、英国も停戦協定関係国の一として、速に支那側の停戦区域外撤退方実現のため尽力せんことを求め仏国及び米国に対しても夫々同様の趣旨を回答したのである。なお北支においては支那側は従来我方との間に存在した各種の約諾を無視し、大軍を北上せしめて頻りに挑戦的態度に出でて居るのみならず、更に察哈爾(チャハル)方面にも続々軍隊を進出せしめて来たので、我方としては断然之に対応して適切なる措置を執るの已むなきに至ったのである

以上の如く戦闘は今や北支のみならず、中支方面にも波及し、帝国は遂に支那との間に広範囲に渉り戦火を交えざるを得ざるに亘り、又中南支及び山東における約五万の我が居留民は多額の投資、多年の地盤及び権益を後に残して引揚ぐるの已むなきに立ち至り、更に戦火の犠牲となった居留民も相当多きに上りつつあるのは、甚だ痛心に堪えないところである。在支第三国人も亦我が居留民と同様困難なる立場に置かるるもの少くないのは、誠に気の毒なことであると言わなければならぬ。是れ畢竟南京政府のみならず、地方軍閥に至るまで多年自己政権強化のため排日抗日の気風を煽動し民心を激化するのみならず、進んでは赤化分子と苟合して日支の国交を益々悪化せしめたる結果に外ならない。今や我が忠勇なる皇軍は挙国一致の後援の下に日夜有らゆる艱苦を排して戦闘に従事し、目ざましき効果を挙げつつあるは、真に感激に堪えない次第である。帝国の国是が日満支三国間の融和提携に依り東亜安定の基礎を築き、共存共栄の実を挙げんとするにあることは、今更申すまでもない。然るに支那は毫も我が真意を諒解せんとせず、却って今日の如く大軍を動かして、我が軍民に向い来る以上は、我方も亦之に対応する軍事行動に依り断乎として支那の猛省を促すことを急務とするのである。しかして帝国の庶幾するところは、北支を明朗ならしめ支那全土より今回の如き戦禍再発の憂いを除き、両国の国交を調整し、依って以て前述の国是を実現せんとするに外ならない。故に私は支那為政者が東亜の大局を洞観し、速に反省して帝国の理想に順応し来らんことを望んで止まない次第である

出典:神戸大学附属図書館 新聞記事文庫


大山事件(Wikipedia)

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