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『象徴天皇の旅』井上亮(平凡社新書)

『象徴天皇の旅―平成に築かれた国民との絆』井上亮(いのうえ・まこと)(平凡社新書)

2018年8月10日初版発行
318頁




目次(収録作品)
第1章 人々のかたわらへ―国内の旅
第2章 親善と「外交カード」―外国への旅
第3章 悲しみと希望をともに―被災地への旅
第4章 歴史のトゲを抜く―和解への旅
第5章 「忘れてはならない」―慰霊の旅
第6章 周縁から見た日本―島々への旅

著者は日経新聞の編集委員。
本書は、著者が皇室担当記者として天皇、皇后(現上皇、上皇后)の旅に同行取材した際の見聞や思ったことをまとめたもの。
旅のあらましは、まとまっていて流れがよくわかる。ただ、著者の認識などにはおかしな所や偏りが散見される。たとえば、著者は国体の式などで国歌斉唱の際、起立も斉唱もしないという。それが、記者として客観・中立で正しい姿勢だからだ、というのが理由らしい(p.55)。筆者は、「君が代」を歌いたくなければ、それは自由だとおもうが、起立しないのはマナーとして正しいふるまいではないと思う。著者は、起立するだけで本当に客観性や中立性が失われると思っているのだろうか。
また、1993年の沖縄への行幸啓のくだり(p.214辺~)では、歓迎していた人々もいた筈なのに、その面に触れていない。そして、鹿児島県与論島と沖縄那覇市での大歓迎振り(p.287,p.305)には、「周辺ゆえのナショナリズムなのか」とベネディクト・アンダーソンの「遠隔地ナショナリズム」を想起した、という。当人が思うのは自由だが、こういう所は筆者には、ずれていると感じる。

それから、公に発表したものでも、何に配慮してか実名や所属などを伏せている箇所がいくつかあり、よくない。

[筆者注]
(p.33)
「二年前の即位礼正殿の儀で首相が「天皇陛下、バンザイ」と音頭をとり、参列者が三唱したことにも議論があった。公の場での天皇バンザイは戦前の天皇絶対主義、軍国主義を想起させるとして、拒否反応を示す人も少なからずいた。一連の即位儀式を終えたあとの記者会見で、天皇陛下に「天皇バンザイという言葉は、先の戦争でずいぶん若い人たちが死んでいったわけですが、どんなお気持ちでお聞きになしましたか」という質問があったほどだ。」

これは、1990年の即位礼正殿の儀で海部俊樹首相が万歳をしたもの。「即位儀式を終えたあとの記者会見」とあるが、この質問があったのは、即位礼から間もない平成2年(1990年)12月20日の天皇誕生日における記者会見であったはず。「天皇陛下お誕生日に際し(平成2年)」を参照されたし。この質問は、関連質問の問5。また、この天皇誕生日の記者会見は、マスコミの「姿勢」が、よくわかる好例なので全文を読まれることをおすすめする。

(p.210)「先の戦争で本土防衛の捨て石となり」
(p.302)「沖縄が戦争で捨て石にされたわだかまりは」

先の大戦で沖縄には多大な被害、犠牲があったが、「捨て石」にされた事実はない。また、この言葉は何を指しているのかが曖昧ゆえ、この文脈では使うべきではないと筆者は考える。

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