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『戦場から届いた遺書』辺見じゅん(文春文庫)

『戦場から届いた遺書』辺見じゅん(文春文庫)

2003年12月10日初版発行
301頁




目次(収録作品)

第1章 我、真珠湾に死す
第2章 最愛の妻へ
第3章 「餓島」ガダルカナル
第4章 手紙だけが残った
第5章 帰らざる特攻
第6章 戦艦大和がのこしたもの
第7章 孫の心に生きる
第8章 「記憶」で届けられた遺志

著者は、歌人・ノンフィクション作家(女性)。(1939-2011)

本書は、NHK人間講座(2003年12月~2004年1月)のテキスト「戦場からから届いた遺書」を大幅に加筆し一書としたもの。

先の大戦で戦死した兵士たちの遺書を紹介し、遺族などを取材しノンフィクションとしてまとめた本。第8章の話は、『収容所から来た遺書』という一書になっている。
本書、わるい本ではないが『収容所から~』のほうが優れていて見劣りする。

遺骨や遺品もなく戦死の通知だけで別れた父に、二十六年後、偶然靖国神社の遺品館で「再会」するエピソード(p.219~)は感動的。

[関連]
『NHK人間講座 戦場から届いた遺書』辺見じゅん(2002・NHK出版)
amazon

[筆者注]
(p.146)
(略)[特攻機は]片道だけの燃料を積むと」

筆者が知る限り当事者で特攻機でそのようなことがあったという証言は見たことがない。一方、燃料は満タンだったという証言はいくつもある。

(p.198)
(略)いかに特攻精神で突っ込めといわれても飛行機の護衛もなく、燃料も片道ではただの犬死ではないか」

ここは戦艦大和の「片道燃料」のこと。これに関しては諸説あるようだが、連合艦隊司令部は片道分と指示したが、現場の兵たちが燃料をかき集めて積んだので、実際は片道分ではなかったというのが真相のようだ。
「記録、証言から約4,000(満載6,500)トンの重油を積んでいたことが判明している」(Wikipedia

(p.246)
「シンガポールの在住のオーストラリア人ジャーナリスト、イアン・ウォン氏が(略)『もう一頭の虎を罠にかける』を刊行(略)

イアン・ウォンではなく、イアン・ウォード。『将軍はなぜ殺されたか』の書名で邦訳されている。

(p.250)
「シベリア各地の収容所」

「シベリア抑留」と呼ばれているが、実際はシベリアだけに強制連行されたわけではない。
「シベリア以外にも、モンゴルや中央アジア、北朝鮮、カフカス地方、バルト三国、ヨーロッパロシア、ウクライナ、ベラルーシなどソ連の勢力圏全域や中華人民共和国にも送り込まれたという証言がある(略)」(Wikipedia

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