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「南洋の日本人」

「南洋の日本人」(上下)(「中央新聞」、明治45年(1912)4月2日、3日)

南洋の日本人(上)

遠く南洋地方を視察して帰来せし某氏につき南方に於ける日本移民の状態を聞き得たれば左に紹介す

寂寥なる濠洲
濠洲やヒリッピン地方に於ける我が日本移民の現状は怎(どん)なものであるかと云えば誠に不本意ながら真(まこと)に寂寥々たる有様であると云うの外はないのである、明治二十五六年の頃から明治三十一二年の頃にかけては濠洲に於て大に発展し若しくは発展せんとした我が日本移民の数も殆んど一万に近い多数に上り決して悲観すべき現象ではなかったのであるが、彼の濠洲連邦が組織せられて以来、政治上の意味に於て、所謂有色人種排斥が盛んになり、其結果は折角大発展を見ようとした我が日本移民の上に大打撃を来し、其以後に於る移民の渡航が全然杜絶して居ったのみでなく、先に出掛けて種々の労働に従事して居た移民も漸時引上げて帰国するの已むを得ざる始末となり、さしも一時隆盛を極めた此の地方の日本移民と突然火の消えた様な有様となり、今日に於ては僅かに数百名の日本人が居残って漸く其の名目を保って居るという情ない現象を呈したのである。

寛大なるマニラ
斯く濠洲に於て日本移民が排斥せられ見る影もない有様にあると共に、ヒリッピン諸島に於ても、それが米領となって以来は、亜米利加合衆国の法律が施行せられ、米本土及び他の米領と等しく日本移民は大に排斥せらるる姿となり、此所も亦我が移民の発展は表面上期する事が出来なくなったのである。けれども、そこには又種種(いろいろ)とお勝手な政策が行われて居て、等しく米領とは云うもの[の]、マニラに於ける我が日本移民の排斥のしかたは、布哇(はわい)などに比較すると非常に寛大の様に思われる。即ち布哇等の如く我が労働者を需(もと)むる事も頻りであり、又今日に於ても一二万の日本労働者が入り込む余地があるに拘らず絶対に禁止するという様な事はなく、必要に応じては随分我が移民が入り込む事が出来る。又此の地方に渡航を志願する者の身体検査等も米本土や布哇の如く厳重でなく、多少其の間に幾分の手加減が行われて居るのである。其は、米本土や布哇等の志願者よりも此の地方への志願者の方が不合格となる律が少いに依って見ても明かである。

自由移民と賃銀
然らば此のマニラに入り込む我が移民は如何なる性質であるかと云うに、其等は悉く自由移民で、従来の如く契約移民としては一人も行かれないのである。現在東洋移民会社に於ても一ヶ月に二度若しくは三度出る便船毎に四五十人ずつの自由移民を送って居る。が此等の移民は悉く彼の地よりの注文に応じて出すのであるから、労働時や賃銀等の条件も決定して居て、表面こそ自由移民であるが実は契約移民と異ならないのである。而して此等移民の種類は大工、木挽、農夫であって、大工木挽等は主として建築工事に働き実際に於て一日四五円が普通であるが農夫は一日一円二十五銭が一定の賃銀である。併し此の地に於ける生活は一ヶ月八円乃至十二円であるから職人は勿論農夫も決して悪くはないのである。又渡航費としては横浜からの船賃が二十五円と、別に見せ金六十円が必要である。


南洋の日本人(下)

有望の諸島
以上の如く、マニラに於ては我が移民が可なり歓迎せられ、平均はしないにしても兔に角毎月多少ずつの渡航者があり、又移住地に於ける仕事も決して一時的のものでなく或る意味に於て永久的であり、無尽蔵の姿であって、大に有望の様に思われるが、此外現在に於て我が移民が纏(まとま)って渡航して居り、且多少有望と思われるのは仏国領のニューカレドニアビタヒチとである。

ニューカレドニア
ニューカレドニアには現在日本移民が凡そ千五六百人許り働いて居る。其中で最近に渡航したのは昨年十二月に東洋移民会社の扱いで千十五人渡航した一団である。此の地に渡航する移民は悉く契約移民で、全部巴里(ぱりー)ニッケル会社に雇傭せられ、ニッケル採掘に従事するのである。併しニッケル採掘と云っても石炭の如く鉱坑に入るのではなく、恰かも農夫が働く様に地上に於て労働すのである。而して此等移民の賃銀は何程であるかと云うに、衣食住は悉く雇傭主に於て支給し十時間労働で大工や機械の取扱に馴れた者が手取り百二十五フラン(約五十円)同じく農夫が四十フラン(約十六円)で、休日とか時間外の労働に対しては五割増の給金を支給する定(さだめ)である、が此の地方にはさしたる誘惑もなく殊に食物は日本米や魚肉野菜を支給するし、衣服は一年四十フランを両度に渡す事になって居るから衣服や酒色に浪費する憂(うれい)はなく可なり多額の貯蓄が出来る訳である且つ此の地の気候は夏季九十度冬季六十度内外を上下して居るから我が日本人の移住地としては最も有望である。併し此所は四年契約であるから其の期間の尽きる頃でなくては新な移民が行く事は出来難いのである。

タヒチの同胞
タヒチ島は大洋洲中の一小島であって、燐鉱の産地であるが、全島に於ける労働者の数が約五百人許りしか居ない、其の中で三百五十人許りは我が日本移民であるから、此島に於ては兔に角日本人労働者が絶対の勢力を有して居ると云っても敢て支障はないのである、而かも此の三百五十人中、三百人は福島県人が占めて居るのである。前述の如く此の島は燐鉱の産地であるから、各所に渡航して居る移民は悉く燐鉱の採掘に従事して居るのであるが未だ其の事業が初期に属し、試験中に在るという姿であるから、今遽(にわ)かに此の地の移民の成績中将来の如何等を云々する事は多少早計に失する嫌(きらい)がある、併し実地に就て見聞する所に依れば、此地の燐鉱採掘事業は今後相当に有望の様であるか[ら]、或時機に達すればまだまだ我移民[が]入込む事も出来ると思う、殊に此島の気[候]もニューカレドニアと大差なく、我□日本人には最も適した温度であるか□□つ有望の場所である。而て此地の労働[賃]銀はニューカレドニアと等しく、衣食□は雇傭主の支給で、一日一円が普通の□定になって居るが、此所も前者と等し[く]誘惑がないから浪費の憂はなく、一昨[年]四月に渡航した労働者百五十名が渡航[後]一年間に送金した総高が二十一万何千[フラ]ンという額に達して居る。其の他の島にも多少の移民はあるが取立てて云う□の状態には進んで居ない様である。

(原文は旧字旧かな。新字新かなに改める。[]は、判読困難或いは不能な箇所を筆者が推測で補ったもの。「□」は、判読不能の字。)

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