スポンサーリンク

「神の国発言」

2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会の結成三十周年記念祝賀会における森喜朗首相(当時)の挨拶

 神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏(まと)め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済々、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁の神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけでございますから、まさに私たちが中心になって設立し、この活動をさせていただいたものと自負しておるわけでございます。
 村上(正邦)幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定をいたしましたり、今の天皇のご在位のお祝いをいたしましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いをいたしましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をしていただく、その思いでですね、私たちが活動して三十年になったわけでございます。比較的私たちの同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。
 とりわけ、今日は梅原(猛)先生もいらしておりますが、やはり私は、ありがたいことに「森」という苗字をいただいておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう、ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にしてくださったんではないかと思うくらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、われわれの子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。
 私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革を進めようという教育改革国民会議というものをこうしていたしておりますが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを作ったわけですが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だったんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場で難しいことなんだけど、要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんからいただいたもの、もっと端的にいえば、神様からいただいたもの、神様からいただいた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、他人様(ひとさま)の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子どもたちに教えていない親たち、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。
 しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子どもたちが集まりまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまして、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私がいただいたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事にしなければならないとか、そして地球とか、いろいろ書いてあるわけですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。
 ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとしたときにですね、小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入ったわけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。しかし、みんな喜んでいやあ終ったぞ、という式典でしたから、私は申し上げなかったんです。申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事にしよう、とっても良いことだと思います。思いますが、地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様からいただいたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人(しょうにん)であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということを、もっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない。信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということを、もっと私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえばいちばん大事なことではないかと、こう思うんです。
 私はあまり信心深い方ではないんですが、それでも朝は、必ず神棚に水をあげて、そして出てまいります、家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が一歳半から、必ず一緒に並んでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタタと私の寝室に来て、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変疲れておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「先生」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。
 これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので……。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前らいちばん悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前たちが何にもしないから、お祖父ちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」
 いちばん大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えていくんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせていただいておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子どもたちの社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりですね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導をいただきながら、ほんとに人間の社会に何がいちばん大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握していただく。そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だ、と、このように思っておるわけでございます。
 たまたま小渕さんが、ご他界になられました。三、四日前にそうしたお立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐいったんです。その小渕さんの後をいただこうとかそんな事を私は一つも考えておらなかった。私は小渕さんがしっかりやっていただくということを幹事長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であっておるんだということを、思っておりましたが、小渕さんがああいうことになって、私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命ということは神様からいただいた、まさに天の配剤ということであろうかと思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺(ひつぎ)が官邸の前を通って、まわりを回って、そして自宅に帰られた。私はそのことを写真で見ましたが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通ったときに雷鳴があって、私はそのとき思った。何かあったかもしれません。まさに小渕さんはこのとき、天に昇られたのか、また天も共に嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったのかなと思いました。総理大臣になりましたとき、まさにこう申し上げました。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをしてはならない。まさにお天道様が見てござる、神様が見ていらっしゃるんだということを一つだけ、大事にしながら政治が過ちにならないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。
 ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝いくださって、また我が国の行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら、ご指導を賜ることをお願いいたしまして、少し長くなりましたが、私のご挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日はありがとうございました。

出典:『日本は「神の国」ではないのですか』(2000・小学館文庫)


[参考]
Wikipedia
ウィキペディアのものは、上記と漢字の表記と句読点が違うだけで同じだが、一ヶ所異同がある。終わりから二段落目の文章、上記は「三、四日前に」だが、ウィキペディアのものは「四十三日前に」となっている。
(※情報は記事作成時点)

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

Secured By miniOrange