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日本の都市(八)~(十)青森市

日本の都市(八)~(十)(「東京時事新報」明治44年(1911)12月22日-24日)

日本の都市(八)
青森市(上)

青森市は東北の尽頭に位し東経百四十度四十五分北緯四十度五十分に当る其広袤(こうぼう)は東北一里十一町四十間南北十三町二十間面積零、五十八方里にして北方は陸奥湾に臨み海路五十九里を距てて北海道の函館港に相対し東西南の三面は渺茫たる平野にして東津軽部と境せり鉄道は旧日本線東より又奥羽線西より来り両線青森駅頭に連絡し東京街道、奥羽街道又東西より相通ず海上は函館及び室蘭間の定期航路其他各地方との不定期航路あり近年に至り樺太、浦塩(うらじお)間の航路又新に開始せられ海陸交通の便稍(や)や備われるを見る而して湾口は東北に開け満潮時に於ける水深六十六尺余、干潮に際しても尚お六十尺を下らず且つ海底は土砂なるを以て船舶の碇繋甚だ便なり去三十一年市制実施の際と昨年五月の大火以前と並に本年八月末の調査にかかる戸数人口を記せば左の如し

            戸       人
三十一年末   六、一一七  二七、九九一
四十三年四月 一〇、六六五  五〇、二四七
四十四年八月 一〇、三六七  四五、二二五

昨年五月の火災に類焼したる戸数七千五百十九戸罹災人口三万三千九百五十七人とは惨(さん)も亦□□ならずや
青森市は旧津軽藩の領土なるが昔時慶長の頃迄は人家なく其創開は寛永三年藩主奉行を置きて之を統治せしに始ると云う当時は青森村と称し七区に区画せられたるが貞享四年に至り市街の名を付し明治四年廃藩置県に当り青森県庁を置きて県の首脳地となり同八年各町を合して青森町と称せり二十二年町村制実施の時町制を布かれ同時に東津軽郡造道村の一部なる栄町及び浪打を合せり二十四年九月旧日本線開通し次で奥羽官線竣成するに及び北方に於ける陸羽連絡の中心地となり三十年電灯工事竣(な)り同年十月隣村浦町の全部及び大野村字長嶋、滝内村字古川を合し市の境域漸次に拡大するや翌三十一年四月市制を布かれ爾来長足の進歩をなして人煙目に稠密を加う之より先き二十三年十二月には青森地方裁判所新設せられ二十六年十二月には青森師範学校落成したり
明治三十二年奥羽六県の連合共進会を此市に開催するや商工業者を刺激するに於て最も有力なる効顕ありしが如く三十三年以降農工銀行、商業銀行、青森貯蓄銀行其他銀行会社の設立せらるるもの年と共に多し三十五年三月独立選挙区となりて以来徳差藤兵衛、渋谷清蔵、菊池武徳、大阪金助の諸氏を中央議場に送り三十七年には公衆電話開通三十九年には特別輸出港に指定四十二年六月には浦塩命令航路の寄港地に加入せられ同年十二月には予て敷設中なりし水道工事落成するに至れり市の発展沿革を叙して最後に大書するの要あるは昨年五月の大火災にして一部の過失は遂に全市の七割を失い焼死者二十七人火傷者百六十五人此総損害額七百二十九万五千三百五十七円(青森商業会議所の調査に依る)と称せられ実に悽惨の極点に達したるが大方仁者の同情と市民の努力とは期年ならずして市勢快復の曙光を見以下記述するが如く益々隆盛発展の道途に在り
市の普通教育設備は尋常小学校四、高等小学校一ありて最も古きは明治六年の創立にかかるものあり学級数は高等男八女四、尋常男四十四、女三十九にして一学級平均は高等三十六人八分尋常五十六人二分に当る就学児童数は四十一年度五千六百七十人、四十二年度五千六百四十九人にして四十三年度は大火の影響を受けて五千四百九十二人に減ぜり就学歩合は九九、二三出席歩合は四十三年度九六、三四にして本年度最近の歩合は高等科九七、三八、尋常科九五、一三に上れり普通教育設備は以上の外(ほか)県立師範学校附属小学校一ありて尋常科児童三百五十九人を収容せり
小学校令改正の結果四十一年度より義務年限を六箇年に延長せられたるは全国一般のことなりと雖も同年三月尋常四学年を終了すべき児童の全部をして其就学を尚お二年間継続せしめんとするは其の局に当る者の苦心一方なるざる所なりき然るに此市に於ては実際終了の児童七百二十五人の内一人の廃学者をも出さしめず全く継続就学せしめて改正小学校令の趣旨を貫徹し得たるのみならず遂に昨年を以て尋常高等を通ずる完全なる新令編制を施行し茲(ここ)に始めて六学年の卒業児童を出すに至れり而して設備に関しては去四十一年自校より火を失して焼失したる莨町小学校の復旧工事未だ成らざる前(ぜん)昨年の大火に由りて青森高等、新町尋常の二校を烏有に帰せしめたれば数年来着実の発達を遂げ来れる市の教育事業は殆ど根底より破壊し尽されたるかの観あり当局の錯愕苦心一方ならざりしが或は他の校舎を仮用し或は二部教授の制を採り或は夏期休暇を短縮する等就学奨励、授業訓練に努めたる結果は漸く快復の機運に向い同年十月に入りて青森高等竣工、本年七月橋本尋常(莨町小学改称)落成したるを以て茲に面目を一新して爾後着々予定の計画を実現せしめんとしつつあり而して授業料は市の財政上年来徴収を余義なくせられ居る所なるが四十三年度より更に向う三箇年間之を徴収すべく県知事の認可を経たり然れども別に細民特恵等の規定あれば之が為めに就学上に悪影響を及ぼすが如き跡あるを見ず
市立乙種商業学校は去三十五年十月高等小学校に付設されし商業補習学校を拡張したるものにして現在生徒百二十五名本年に至る迄三回四十名の卒業生を出せり近来学校の事蹟漸く挙り世上の信[任](しんにん)又加りて卒業生の需用年と共に多く絶て就職難を訴うる者を見ざるは是れ本校の徒らに学理に走りて実務に遠かること無く此市の状勢に適応したる施設経営を為すに基くに由るものにして又本県唯一の商業教育機関たる実質を失わざるは多とすべき所なり本校は幸にして昨年大火の災厄を免れたるも現校舎は普通民屋を買収使用せるものにして設備並に学級編制上に不便少からざるより今や予算金一万一千余円を以て新築工事に着手しつつあり


日本の都市(九)
青森市(中)

女子実業補習学校は高等小学校の附設にかかり昨年同校の焼失後は県立青森高等女学校の不用教室を仮用して其授業を継続しつつあり現在生徒七十余名、之を甲乙両組に分ち裁縫割烹其他女子必須の課目を教授せるが本年に入り成績殊に優良の廉を以て県庁より奨励金五十円を交付せらる転じて社会教育の方面を見るに昨年の大火に市立図書館並に蔵書の全部を挙げて烏有に帰せしめて以来未だ復旧の運びに至らず小学生成績品展覧会講習会、講演会等は重に県若くは市教育会の事業として毎年施行し来り市は直接関係を有せざるも其実施に当りては主催者たる教育会に対し数百円の補助金を交付するを例とす又私立の教育機関には中学程度の桔梗学院あるも甚だ振わざるに反し去る四十一年東宮殿下行啓の紀念事業として開設したる私立幼稚園は最も穏健なる発達を遂げ現に七十余名の幼児を収容保育して前途頗る有望を称せらる又三十六年人材養成の目的を以て市内篤志者間に組織せられたる青森市育英会は今日まで已に数名の学士を出し又四十二年以来貧児教育会なるもの浦町小学校内に付設せられ父兄の承諾を得て貧児に学用品を給与しつつ就学の途を与う
市公会堂は浜町海岸にあり三十三年東宮殿下御慶事紀念の為め建築したるものにして工費約九千円館の上下百六十余坪優に三四百人を容るるに足りて各種の会合に多大の便益を供せり又私人の経営にかかる劇場に朝日座及び寄席文芸館等あるも共に経営困難にして設備見るべからず而して近年漸次に衰微に赴きつつある市内東部の発展及び繁栄策として堤川両岸に花樹を栽植するの□あるも実行に至らず概して風紀事業と目する施設経営の欠乏するは市民の甚だ遺憾とする所たり
青森市には未だ独立せる施療院なきも此事業は已に数年以前より市立病院をして之を実行せしめつつあり殊に昨年の大火に際し市内の開業医は僅に一人を除く外(ほか)他(た)は悉く類焼の災厄に遭遇したるを以て市は時を移さず仮病院を設立して一般患者並に負傷者の加療に当り又伝染病予防の為め貧困者は罹災の有無に拘わらず伝染病院に収容施療するの方法を執れり而して本年度に入りても市立病院に於ける窮民施療の事業を継続し医師会に於ても亦今春の施療救療に関する優詔を拝すると同時に前年大火の際実行したる施療事業を再興し今日に至るも尚実行せり又青森慈善院なる市内唯一の私立孤貧児院あるも規模狭小に纔(わずか)に院児二十名の行商に由りて其命脈を持続するに止まり設備成績の共に見るべきもの無し
市営の貧民長家は市内大字莨町に在り初め昨年の大火に際し弘前市の斎藤主堀口彦三郎両氏の罹災窮民を収容すべき仮長屋三棟を同町に急設寄付したるに濫觴し罹災民中の最貧窮者百戸此人員三百七十余人を此処に収容扶助したるが其後全国より巨額の義捐金を得るに及び別に長屋三棟此坪数三百八十四坪を新築して前記の仮長屋より収容民を移入したり爾来市勢の快復と共に困難の状態を軽減し退去を申出る者次第に多きも尚三十四戸百六十七人を存すと云う又市内基督教会連合の下に栄町裏内に慈善長屋二棟を設置し大火後今日まで引続き窮民二十戸百余名を収容して救済に尽しつつあり教勢扶植の一端なりと雖も其無料貸屋として理想的の経営を為すの点に於て両者に何等の逕庭(けいてい)あるを見ず
青森市の水道事業は国庫より二十万円県より十五万円の補助を受け別に市債百十八万円を越し総予算八十三万円を以て去四十年四月より起工し四十二年十二月完成したるものなり水源地は市の南方約四里県下唯一の高山なる八甲田山麓にして水量十万口を支うるに足り水質は無色透明にして何等の臭味なく細菌聚落数は水源地一七〇市内共用栓一三となす沈澱池濾過池は共に五万人送水管は七万人配水本管は十万人の設計なるも将来之を拡張して総て十万人の限度に達せしむるを得べきは論なく給水状態は大火当時三千二百七十三戸なりしも大災に依りて消火栓、共用栓、専用栓等の毀損焼失等甚しかりし為一時は家事用にも支障を来す惨状を呈したるが爾来漸く復旧、昨年末には受給者総数四千七十戸に上り本年更に四五百戸を増加したり経費は本年度予算十万三千百八十一円余(内五万八千百三十四円の市債償還を含む)事で給水料収入は一万七千九(ママ)二十円なり上水道は兎も角も竣成したり下水道問題又多年の宿題にして四十二年八月以来調査続行中なるが市財政の都合に由り未だ実行の機運に達せり
市民唯一の行楽場処たる合浦公園は市の東端に在り明治十四年創設にかかり面積十二町万余、前面には渺茫たる青森湾を望み後方には先年歩兵第十五連隊の凍死事件を以て有名なる八甲田の連峰重畳して恰かも自然の壁柵をなす規模頗る確大して園内随所に亭々たる老松天に聳え眺望絶佳なり市は之が維持修築の為に毎年数百円の支出を為すことは財政状態の記事に就て見るべし
市内に個人経営の魚市場あるも旧式の設備にして市とは何等の関係を有せず之に反し屠畜場は去四十二年経費約六千円を支出し市営事業として建設経営するものにして毎月平均五十五頭の屠殺数あり使用せんとする者は使用規程に由り市長の許可を受くべく使用料は牛馬豚羊の別により屠殺又は解体は一円乃至一円五十銭、単に屠場を使用するもの五十銭乃至一円を徴収す未だ盛大と云うべからざるも将来有望の市事業なるが如し火葬場及び埋葬場の一部は市有にして埋葬場中の一部は寺院に付属するものあり昨年の大火を機とし寺院付属の埋葬場(墓地)を市外に移転せしむべく市会の決議を経たるも財源なき為め遂に中止の止むなきに逢う汚物掃除は市内を三区に分ち馬車並に荷車を以て市外に搬出焼棄するの方法を採ること一般都市に異ならず


日本の都市(十)12月14日
青森市(下)

市の交通事業に於て最も重大なるは云までもなく青森港湾の修築なり此問題は県市多年の懸案にして今や何人も其急務なるを認め最近の港湾調査会に於ても亦調査決定する所ありたるが例の大消極的予算の結果は果して来年度に於て補助金交付の運びに至るべきや否や政府にして愈(いよい)よ補助交付の暁に至らば県は五十万円を起債して直ちに工事に着手すべく市も亦其幾部分の償還義務を負担することを解せざるべし之を要するに築港問題は政府の予算如何によりて決定する県市連帯の大事業と云うべし
昨年大火の復旧経営費として内務省より借入れたる市債四十万円中二十二万三千二百五十余円は市内の道路改修費に充てたるものにして其工事の主なるものは市内を南北に縦断して柳町通及び浦町停車場通りを幅員十一間に拡張開鑿し且つ路傍に樹木を栽植して将来市内に於ける自然的二大防火線と為すの計画を始とし尚お到(いたる)処の道路に大修繕を加えたる上用水堰其他の水路を完全ならしめ同時に橋梁替を為すべく更に市内の美観を発揚せんが為め各町に樹木の栽植をなすに在りて目下第四期工事中なるが来年度に於て全□竣成の際は市街の体裁並に道路の完備せること恐くは東北に冠たるものあるべしとは青森市民の誇称する所なり
市の建築取締規定は昨年五月県令第二十九号を以て発布即日直施せられたるものなるが其重(おも)なる条項は建物の敷地は道路より五寸以上の地盤を構造すべきこと、道路に沿う建物は道敷より一尺五寸の距離を有すべきこと、建物の屋根は瓦、スレート、石綿盤、金属板、其他の不燃質物たるべきこと等にして其他倉庫の構造住家の内容、長屋の制限等ありて大火後の建築は悉く此規定に拠るものと知るべし又広告物取締施行規則は本年八月県令第四十六号を以て発布せられ啻(ただ)に市内のみならず全県下に施行さるるものなるが公園、名所、社寺、旧蹟の境内等は絶対に営業広告を禁止し鉄道沿線、市街の大通、屋上其他重なる場所に於ては予め所轄警察署の認可を受くべき事等を規定したり
進んで市の勧業状勢を見んに去る四十一年青森、浦塩(うらじお)間の貿易を隆盛ならしめんが為め大阪商船会社と契約して運賃の不足額を補給することとし其航路を開始したるが翌四十二年五月までの補給額六百三十六円余に達せり又同年企画されたる浦塩視察団三十八名に対し四百八十七円余の費用補助を交付し旁々(かたがた)同地との貿易を助長するに勉めたる結果、同年六月より青森港は政府の浦塩回航命令寄港地に加えられ爾来次第に貿易額を増加しつつあり即ち四十二年の輸出額は約四万円なりしが四十三年には六万円に上り本年は十月迄に已に七万円を超過したり貨物は主として林檎たり又昨年の大火に因り失職せる者に対し生業を授くると共に一面市の工業を普及奨励せしむる目的を持し火災義捐金を以て設立したる市立授産場に於ては其第一着手として女子数十名を募り織物伝習を開始したるに成績頗る良好にして一年の生産額一万三千余円に達せり去れば来年度よりは更に授産種目に木工鍛治工等を加えんと目下計画の中にあり
市の財政状態を一目明瞭ならしめんが為めに四十三年度決算並に四十四年度予算を表示すれは左の如し

(表。省略)

次に市債の現在額を表示するに左の如し

(表。省略)

青森市には又一種の特別税あり歩一税並に特別所得税という歩一税とは土地建物を買得又は譲受けたる者に対し其価格の千分の二十を随時賦課するものにして特別所得税とは百五十円以上三百円未満の収入ある者に対し千分の六乃至八を毎年十月一期に徴収するものなり又別に電灯柱一本に一年一円五十銭を徴収せんとして已に其筋に認可申請せり
青森市現任の市長を工藤卓爾氏と云う安政六年弘前に生れ始め身を小学教員に起して青森小学校長と為り次で文筆の業に転じて陸奥日報に主筆たり明治十九年県会議員に挙られ次で常置委員に当選二十五年には青森県第一区より選まれて衆議院議員となり傍ら江差新聞の編輯を督せり二十九年初めて青森市長に就職六年の後解任、爾来市参事会員市会議員、市会議長等の要職にありて二十年一日の如く市政に尽瘁(じんすい)して居たるが四十三年に至り衆望の帰する処再び市長に就任以て今日に至る助役を斎藤弥太郎氏と云い元税務官吏たり(完、次は甲府市)

(原文は旧字旧かな。新字新かなに改める。[]は、判読困難或いは不能な箇所を筆者が推測で補ったもの。「□」は、判読不能の字。)

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