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『声なき声を語り継ぐ―戦没者遺族「50年の証言」』産経新聞取材班(新潮社)

『声なき声を語り継ぐ―戦没者遺族「50年の証言」』産経新聞取材班(新潮社)

1996年8月10日発行
332頁
定価:1,815円(税込)




目次(収録作品)

第1部 遺族に共通する思い
第2部 母の嘆き、妻の悲しみ
第3部 家族の絆は消えず
第4部 特攻を語り継ぐ女性たち
第5部 軍属の人々の真実
第6部 戦犯、捕虜、抑留を乗り越えて
第7部 海外からみた戦後五十年
第8部 慰霊の旅は続く

本書は、産経新聞に連載されたBC級戦犯の遺族への取材を一書に編集したもの。
一つ一つの記事は、ほとんどが4ページ程で短いが、数多くの遺族を取り上げている。
BC級戦犯遺族についての取材でまとまったものは、筆者が知る限りほとんどないと思うので、本書は意義あるものである。ソフトカバーなどで廉価に復刊されてもよい。
ただし、本書の「抗議の自殺―暴行を受けるより死を選んだ看護婦たち」(p.175~)の話は、信憑性に乏しいものなので注意!(筆者は嘘だと思っている。[筆者注]参照)

[筆者注]
(p.139)「(略)知覧町には陸軍の特攻基地があった。沖縄近海の米軍艦船を目がけ、片道六百キロ分の燃料だけを積み(略)
よく言われる「片道燃料」。これの証拠が示された例を筆者はしらない。たとえば、「知覧特攻平和会館」でも片道燃料を否定している。
「知覧から沖縄までの距離は約600kmですので、97式戦闘機では満タンでも片道分の燃料しか入らなかったことになります。「特攻隊は片道分の燃料だった」といわれることがありますが、実際には、片道分しか入れていなかったわけではなく、機種によって性能が異なっていたのです。」(「知覧特攻平和会館」

(p.175)「抗議の自殺」
これは、戦後、満洲赤十字で働いていた(元)従軍看護婦たちがソ連兵に呼び出され蹂躙されていた。それに対して22名の(元)従軍看護婦が青酸カリを飲んで、抗議の自殺したという話である。
自殺した彼女たちの遺骨を当時その場にいた堀喜身子(堀喜美子、松岡喜身子、松岡喜美子とも)が持ち帰り、遺族を探し出して遺骨を送り、「青葉慈蔵尊」という碑を建立した。
ただ、遺骨を送り届けたというが、一人の遺族の氏名も示されていなく、名乗り出ている遺族も一人もいない。また、自殺したという22名の(元)従軍看護婦たちの国籍も住所も氏名も一人も確認されていない。つまり、堀喜身子の「話」以外には証拠は何もない。それでもってこの話を実際にあった出来事だとするのは無理がある。今もこの話を引用している人がいるが、気を付けるべきである。

226頁に、すこし言及されている友弘正雄氏は、ドキュメンタリー番組に取り上げられている。おすすめ。
「バヤルタイ 77年前の戦争 両足を失った96歳の男性が語る モンゴル抑留の真実」[YouTube]

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