『小泉八雲作品集1 日本の印象』(全3巻)小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)(河出書房新社)
ハードカバー・函入
1977年6月10日初版発行
1988年3月25日3版発行
333頁
目次(収録作品)
東洋の土を踏んだ日(My First Day in the Orient)仙北谷晃一訳
盆踊り(Bon‐Odori)仙北谷晃一訳
神々の国の首都(The Chief City of the Province of the Gods)森亮訳
英語教師の日記から(From the Diary of an English Teacher)奥田裕子訳
ある日本の庭で(In a Japanese Garden)酒本雅之訳
八重垣神社(Yaegaki-Jinja)平川祐弘訳
加賀の潜戸(In the Cave of the Children’s Ghosts)平川祐弘訳
美保関(At Mionoseki)奥田裕子訳
日本海の岸辺で(By the Japanese Sea)酒本雅之訳
生と死―断章(Bits of Life and Death)酒本雅之訳
戦後に(After the War)平川祐弘訳
小泉八雲の作品を邦訳したアンソロジー。紀行文や日本論(随筆)を収める。「Bits of Life and Death」は、来日後、第2作品集『Out of the East』から。「After the War」は、第3作品集『Kokoro』から。それ以外は、第1作品集『Glimpses of Unfamiliar Japan』(全2冊)から採られている。
それぞれの作品は全訳されていて、平明な訳で全体的にはよい。しかし、日本語としてこなれない部分が散見される。特に気になったものを指摘する。
(p.13)「東洋の土を踏んだ日」仙北谷晃一訳
「しかし、もっと正確な表現が不可能に近いことをまず書こうとすると、期せずして文句が同じなってしまうのは自然の理というものである。」
この訳は意味がかなり分かりにくい。
原文は「Yet there is a natural reason for this unanimity in choice of terms to describe what is almost impossible to describe more accurately at the first essay.」
「が、初めての試作として、これ以上精確に描写することは殆ど不可能だから、描写の語句の選択が、斯く一致するのは自然の理である。」(落合貞三郎訳)
落合訳ならわかる。
(p.272)「生と死―断章」酒本雅之訳
「水にオタマジャクシがわかないように、どこの井戸にもフナが一匹や二匹は飼ってある。」
原文は「One or two funa are kept in every well, to clear the water of larvae.」
「larvae」は、larvaの複数形で「幼虫」の意。オタマジャクシとするのには違和感がある。ボウフラ(その他)だろう。「幼虫」と直訳してもよいだろう。
(p.273)
「するとうちの門のまえに、三フィート以上もある巨大な龍がいた。」
原文は「(略)and I found, perched before my gate, an enormous dragon-fly more than three feet long.」
「dragon-fly」なので、ここは「とんぼ」。「龍」は誤訳である。
このあとに「胴体が松の枝に色紙をくるんだもので、四つの翼が四本の十能で、きらきら輝いている頭が小さな急須だと分った。」(p.273)とあることからも明らか。なので、「翼」ではなく翅(羽)と訳した方がよい。
[関連]
『神々の国の首都』小泉八雲(講談社学術文庫)