『ニコマコス倫理学』(上下)アリストテレス、高田三郎訳(岩波文庫)
上巻
改版1971年
377頁
古代ギリシアにおいて初めて倫理学を確立した名著。万人が人生の究極の目的として求めるものは「幸福」即ち「よく生きること」であると規定し、このあいまいな概念を精緻な分析で闡明する。これは当時の都市国家市民を対象に述べられたものであるが、ルネサンス以後、西洋の思想、学問、人間形成に重大な影響を及ぼした。(全2冊)
本書表紙(カバー)より
下巻
改版1973年
334頁
アリストテレス(前384-322)の著作を息子のニコマコスらが編集した本書は、二十三世紀に近い歳月をしのいで遺った古典中の古典である。下巻には、「抑制と無抑制」について述べる第七巻、各種の「愛」を考察する第八・九巻、「快楽」に関する諸説の検討と「幸福」について結論する第十巻を収める。詳細な索引を付す。
本書表紙(カバー)より
目次(収録作品)上巻
第一巻
序説
第一章 あらゆる人間活動は何らかの「善」を追求している。だがもろもろの「善」の間には従属関係が存する
第二章 「人間的善」「最高善」を目的とする活動は政治的なそれである。われわれの研究も政治学的なそれだといえる
第三章 素材のゆるす以上の厳密性を期待すべきではない。聴講者の条件
幸福
第四章 最高善が「幸福」であることは万人の容認せざるをえないところ。だが、幸福の何たるかについては異論がある。
(聴講者の条件としてのよき習慣づけの重要性)
第五章 善とか幸福とかは、快楽や名誉や富には存しない
第六章 「善のイデア」
第七章 最高善は究極的な意味における目的であり自足的なものでなくてはならない。幸福はかかる性質を持つ。
幸福とは何か。人間の機能よりする幸福の規定
第八章 この規定は幸福に関する従来のもろもろの見解に適合する
第九章 幸福は学習とか習慣づけとかによって得られるものか、それとも神与のものであるか
第十章 ひとは生存中に幸福なひとといわれうるか
第十一章 生きているひとびとの運不運が死者の幸福に影響をもつか
第十二章 幸福は「賞讃すべきもの」に属するか、「尊ぶべきもの」に属するか
第十三章 「徳」論の序説──人間の「機能」の区分。それに基づく人間の「卓越性」(徳)の区別。知性的卓越性と倫理的卓越性
第二巻
倫理的な卓越性(徳)についての概説
第一章 倫理的な卓越性ないしは徳は本性的に与えられているものではない。それは行為を習慣化することによって生れる
第二章 ではいかに行為すべきか。一般に過超と不足とを避けなくてはならぬ
第三章 快楽や苦痛が徳に対して有する重要性
第四章 徳を生ぜしめるにいたるもろもろの行為と、徳に即しての行為とは、同じ意味において善き行為たるのではない
第五章 徳とは何か。それは(情念でも能力でもなく)「状態」である
第六章 ではいかなる「状態」であるか。それは「中」を選択すべき「状態」にほかならない
第七章 右の定義の例示
第八章 両極端は「中」に対しても、また相互の間においても反対的である
第九章 「中」を得んがための若干の実際的な助言
第三巻
つづき
第一章 いいとかわるいとかいわれるのは随意的な行為である。随意的とは(1)強要的でなく(2)個々の場合の情況に関する無識に基づくものならぬことを意味する
第二章 徳はよき行為がさらに、(3)「選択」に基づくものなることを要求する。「選択」とは何か。それには「前もって思量した」ということがなくてはならぬ
第三章 だが思量とは何か。──かくして「選択」とは「われわれの自由と責任に属することがら」に対する「思量的な欲求」である
第四章 「選択」が目的へのもろもろのてだてにかかわるのに対して、「願望」は目的それ自身にかかわる
第五章 かくして徳はわれわれの自由に属し、したがって悪徳もまたわれわれの責任に属する
倫理的な卓越性(徳)についての各論
勇敢
第六章 勇敢は恐怖と平然と(特に戦いにおける死についての)にかかわる
第七章 それに対する悪徳。怯懦・無謀など
第八章 勇敢に似て非なるもの五
第九章 勇敢の快苦への関係
節制
第十章 節制は主として触覚的な肉体的快楽にかかわる
第十一章 節制・放埒・無感覚
第十二章 放埒は怯懦よりもより随意的なものであり、それだけにより多くの非難に値する。放埒と子供の「わがまま」との比較
第四巻
(財貨に関する徳)
第一章 寛厚
第二章 豪華
(名誉に関する徳)
第三章 矜持
第四章 (名誉心の過剰・名誉心の欠如に対する)それの中庸
(怒りに関する徳)
第五章 穏和
第六章 「親愛」
第七章 真実
第八章 機知
(徳に似て非なるもの)
第九章 羞恥
第五巻
正義
第一章 広狭二義における「正義」
第二章 狭義における正義が問われている。この意味の正義は配分的正義と矯正的正義に分たれる
第三章 配分的正義(幾何学的比例に基づく)
第四章 矯正的正義(算術的比例に基づく)
第五章 「応報的」ということ。交易における正義
第六章 正義・市民社会・法律
第七章 市民的正義における自然法的と人為法的
第八章 厳密な意味における「不正を働く」ということ
第九章 ひとはみずからすすんで不正を働かれるか。配分における不正の非は何びとにあるか
第十章 正義に対する「宜」の補訂的な働き
第十一章 ひとは自己に対して不正を働きうるか
第六巻
知性的な卓越性(徳)
概説
第一章 その論究の必要。魂の「ことわりを有する部分」の区分(認識的部分と勘考的部分)
第二章 前者の目的は純粋な真理認識にあり、後者の目的は実践的な真理認識にある
各論
第三章 学
第四章 技術
第五章 知慮
第六章 直知(ヌース)
第七章 智慧(知慮との比較)
第八章 (知慮と政治。知慮は個別にもかかわる)
実践の領域に属するその他の知性的な卓越性(徳)
第九章 「思量の巧者」
第十章 「ものわかり」「わかりのよさ」
第十一章 情理(「ものわかり」や「直知」との共通性)
知性的な卓越性(徳)に関する諸問題
第十二章 問題とその答え
第十三章 つづき
下巻
七巻
抑制と無抑制
第一章 悪徳・無抑制・獣的状態。ならびにその反対のもの。抑制と無抑制とに関するもろもろの通説
第二章 これらの見解に含まれている困難。以下かかる難点が解きほぐされなくてはならない
第三章 抑制力のないひとは知りつつあしきことをなすのだとすれば、この場合の「知りつつ」とはどのようなことを意味するか
第四章 無抑制は如何なる領域にわたるか。本来的な意味における無抑制と、類似的な意味における無抑制
第五章 獣的なまたは病的な性質の無抑制は、厳密な意味で無抑制とはいえない
第六章 憤激についての無抑制は、本来的な意味における無抑制ほど醜悪ではない
第七章 「我慢強さ」と「我慢なさ」との、抑制ならびに無抑制に対する関係。無抑制の二種──「せっかち」とだらしなさ
第八章 無抑制と悪徳(=放埒)との区別
第九章 抑制・無抑制に似て非なるもの。抑制も一つの中庸といえる
第十章 怜悧は無抑制と相容れても、知慮は無抑制と相容れない
快楽 ─A稿─
第十一章 快楽の究明の必要。快楽は善でないという三説とその論拠
第十二章 右についての全面的な検討
第十三章 つづき
第十四章 つづき
第八巻
愛(フィリア)
第一章 愛の不可欠性とうるわしさ。愛に関する疑義若干
第二章 愛の種類は一つではない。その種別は「愛さるべきもの」の種類いかんから明らかになる。「愛さるべきもの」の三種──善きもの・快適なもの・有用なもの
第三章 愛にもしたがって三種ある。だが「善」のための愛が最も充分な意味における愛である
第四章 「善」のための愛とそれ以外の愛との比較
第五章 愛の場合における「状態」と「活動」と「情念」と
第六章 三種の愛の間における種々の関係
第七章 優者と劣者との間の愛においては愛情の補足によって優劣の差が補われなくてはならない
第八章 愛においては「愛される」よりも「愛する」ことが本質的である
第九章 愛と正義との並行性。したがってあらゆる共同体においてそれぞれ各員のあいだに一定の愛が見出される。共同体の最も優位的なものは国家共同体である
第十章 国制の種類と、そこから家庭関係への類比
第十一章 右に応ずるもろもろの愛の形態。愛と正義とは各種の共同関係において、それぞれその及ぶところの限度が並行的である
第十二章 種々の血族的愛。夫婦間の愛
第十三章 各種の愛において生じうべき苦情への対策として、如何にして相互の給付の均等性を保証するか
⒜ 同種の動機による均等的な友の間において
第十四章 ⒝ 優者と劣者との間において
第九巻
つづき
第一章 ⒞ 動機を異にする友の間において
第二章 父親にはすべてを配すべきか
第三章 愛の関係の断絶に関する諸問題
第四章 愛の諸特性は最も明らかに自愛において見られる
第五章 愛と好意
第六章 愛と協和
第七章 施善者が被施善者を愛することは後者が前者を愛する以上であるのは何故か
第八章 自愛は不可であるか
第九章 幸福なひとは友を要するか
第十章 友たるべきひとの数には制限があるか
第十一章 順境と逆境と何れにおいてより多く友を要するか
第十二章 「生を共にする」ということの愛における重要性
第十巻
快楽 ─B稿─
第一章 快楽を論ずる必要。快楽の善悪に関する正反対の両説。その検討の必要
第二章 快楽は善であるとするエウドクソスの説。(その制約。) エウドクソスに対する駁論の検討
第三章 快楽は善ではないとする説。それについての検討
第四章 快楽とは何か
第五章 快楽にはいろいろの快楽がある、──活動にもいろいろあるごとく。では何が人間の快楽であるか。それは何が人間の活動であるかというところから明らかになるであろう
結び
第六章 究極目的とされた「幸福」とは何か。それは何らか即自的に望ましい活動でなくてはならぬ。だが快楽が「幸福」を構成はしない。「幸福」とは卓越性に即しての活動である
第七章 究極的な幸福は観照的な活動に存する。だがかかる純粋な生活は超人間的である
第八章 人間的な幸福は倫理的な実践をも含めた合成的な「よき活動」に存する
第九章 倫理的卓越性に対するよき習慣づけの重要性。よき習慣づけのためには法律による知慮的にして権力ある国家社会的な指導が必要である。立法者的能力の必要。立法の問題は未開拓の分野である。われわれは特に、国制に関して全面的に論ずるであろう