『ケアをすることの意味―病む人とともに在ることの心理学と医療人類学』皆藤章監訳、アーサー・クラインマン、江口重幸、皆藤章(誠信書房)
2015年
191頁
現代においても、ケアはそれがどこでなされるにしろ人間の体験におけるひとつの基礎となる道徳的・人間的な意味のある実践であることは確かである。それは人間であるということの価値に深く関わっており、経済性や合理性によってその価値が乱暴に貶められることにあらがうものである。本書では、ケアをすることに関する深刻な議論を喚起し、医学・看護・心理学教育と実践・研究におけるケアの位置づけの再考を促す。その一方で、患者や家族やコミュニティにおいてケアをすることの意義を訴える。
出典:誠信書房公式サイト
[参考]
『病いの語り―慢性の病いをめぐる臨床人類学』アーサー・クラインマン(誠信書房)
目次(収録作品)
第Ⅰ部
第1章 ひとりの心理臨床家の考える人間の生とアーサー・クラインマンの存在(皆藤章)
序・ 第一節 心理臨床家としてのわたし・1私は何者なのか/2生きる心理療法を巡って/3宗教性/4糖尿病という「病い」との関わり
第二節 邂逅 アーサー・クラインマン・1出会い前/2不治の病いと物語を巡る若干の考察/3出会い/4日本への招聘・結び
第2章 21世紀における感性と主観性の変容――人類は生き残れるか(アーサー・クラインマン)
感性とその変容/主観性とその変容――21世紀を生きる課題/道徳的・人間的体験/社会的な苦しみ/感性・主観性の変容と人間性の喪失/◎質疑応答
第3章 カタストロフそしてケアをすること――アート(テクネー)としての医の失敗(アーサー・クラインマン)
第Ⅱ部
第1章 ケアをすること――より人間らしくなるための旅(アーサー・クラインマン)
第2章 不治の病いを生きる人へのケア――ある事例を巡って(アーサー・クラインマン/皆藤章)
【事例検討会】 司会 皆藤 章 布柴靖枝・西浦太郎訳
第3章 病いと人間的体験――慢性の病いとともに生きること(アーサー・クラインマン)
糖尿病と他の慢性疾患――医学への挑戦/慢性化の主な問題/医師にとっての実践ステップ/「道徳的・人間的」ということばが意味すること/道徳的・人間的体験/病いの語り/語りの理論/病いと疾患/病いの体験/患者の語り/白血病の大学3回生(20歳)の語り/大腸の慢性疾患を抱える39歳の教師の語り/肝臓の慢性疾患を抱える64歳の技師の語り/不動産会社で働く55歳の婦人の語り/マネージド・ケアのHMOに所属する60歳のプライマリーケア医師の語り/米国で医学教育に携わる57歳のリーダーの語り/ケアをすること/ケアをすることの民族誌的定義/ケアをすること――家族、親しい友人、苦しんでいる人たちにとっての中核的課題/道徳性とケア/ケアをすることと現前性/医師
第4章 耐えるということ(アーサー・クラインマン)
第Ⅲ部
第1章 ケアをすること(アーサー・クラインマン)
ケアにおける三つの逆説/ケアをすることとその意味/生きることの文化的側面/文化のプロセス/説明モデル/ケアすることへの文化的アプローチ/ケアの実践的な意味と医療におけるケアの再活性化/◎質疑応答
第2章 道徳的・人間的体験としてのケアの実践(アーサー・クラインマン)
第3章 クラインマンから学んだいくつかのこと――臨床人類学が医療やケアにもたらすもの(江口重幸)
はじめに/クラインマンの2014年の連続講演会/医療人類学、文化精神医学への関心と『臨床人類学』/『臨床人類学』の原点――症例陳さん/「癒やしとは何かという厄介だが根本的な問い」――症例陳さんをめぐる分析と解釈/ふたつの「おどろくべき結論」/社会的に是認された病いとケアとは?/エランベルジェと歴史的文脈への架橋/「ヘルス・ケア・システム」とは「治療文化」のことである――中井久夫『治療文化論』への架橋/その後の展開/さいごに