スポンサーリンク

『現代語訳 竹取物語/伊勢物語』田辺聖子訳(岩波現代文庫)

『現代語訳 竹取物語/伊勢物語』田辺聖子訳(岩波現代文庫)

2014年1月16日初版発行
281頁




書名の通りの本。原文はなく訳のみ。『竹取物語』は全訳。『伊勢物語』83段分が訳されている。

評価を先に言うと本書はおすすめしない。『竹取物語』は『竹取物語(全)』(角川ソフィア文庫)か、筆者の私訳をおすすめする。

『竹取物語』は、全体的にはこなれた訳文だが、よくない点がいくつかある。
各パートの終わりに言葉の由来を洒落で語る部分があるが、それを示すためそこに「なあんて。わははははは。」という文章を加えている。前半は滑稽譚調なのでまあよいが、「物語は(略)玄妙に転調する」(p.277)と訳者もいうように、後半は別れの哀しい調子となる。そこでも、上記の「なあんて……」を加えているのは、物語の雰囲気を壊している。
また、敬語の表現(訳し方)で違和感がある箇所が散見される。例を挙げると、「倒れていられる」(p.46)、「美しくていられる」(p.49)、「慰めあっていられる」(p.58)等々。

月からの使いが姫を迎えに来ることを知り、竹取の翁が帝に助けを求めるくだり。

(p.63)
「明けくれ見なれたかぐや姫を月の都へやってしまっては、翁らはどんなに辛く思うであろうか」

原文は「明け暮れ見慣れたるかぐや姫をやりて、いかが思ふべき」で、主語はない。主語を補うのはよいが、「翁ら」とするのは、よろしくない。細かい所だが、重要な部分である。おそらく、嫗(や使用人たち)のことを考え複数にしたのだろうが、ここは、竹取の翁の奏上にたいして帝が思い遣った場面なので、補うなら「翁」とすべきである。帝と翁の交流の点からいっても複数にするのはおかしい。
(参照「かく見せつる造麻呂を悦び給ふ。」このように[かぐや姫を]見せてくれた造麻呂を[帝は]ありがたくお思いになった。)

(p.72)
「この羽衣を着た人は、人間的な喜怒哀楽の感情が失われてしまうのだ。」

原文は「衣着せつる人は心異になるなりと言ふ。」。心がふつうの人とは変わってしまう、と言っているだけで「喜怒哀楽の感情が失われ」るというのは、引用した部分だけではなく原文のどこにもない。また、この直前に天人のひとりが、「遅し(はやくしろ)」とすこし苛立つ場面があり、そことも矛盾した感じになって拙い。

これは、こまかい事だが、「五尺(約一六六センチ)」(p.66)としているのが気になった。ふつう、一尺は30.3㎝とするが、どうやら一尺を33.3㎝としているようだ。そのような尺もあるようだが、なぜそうしたかは注するべきだろう。当時の尺は、そうだった論拠でもあるのだろうか。

『伊勢物語』については、訳はまあまあよいと思うが、原文がないのがよくない。

また、目次に『伊勢物語』の段数が記されていないのが不便。

本書は、『竹取物語 伊勢物語』(1987・集英社文庫)を岩波現代文庫化したもの。
初出は、おそらく『竹取物語・伊勢物語』(1982・学研)。

[参考]
筆者も『竹取物語』を訳しています。当サイトの支援も兼ねてご購入頂けると幸甚でございます。
筆者のウェブストア

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。
Secured By miniOrange