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『新版 南洲翁遺訓』(角川ソフィア文庫)

『新版 南洲翁遺訓 ビギナーズ 日本の思想』西郷隆盛、猪飼隆明訳・解説(角川ソフィア文庫)

2017年7月25日改版初版発行
253頁




本書は、『ビギナーズ 日本の思想 西郷隆盛「南洲翁遺訓」』(2007・角川ソフィア文庫)を一部加筆・修正した改版。

西郷と交際のあった庄内藩の者が彼から聞いた話をまとめたもの。
原文・現代語訳(口語訳)・解説の構成。

有益なところもあり一読しても悪くはないが、西郷自身が「聖賢の書」を読むのがよいと言っているごとく、その通りにした方が、学びとしてはよい。たとえば、『論語』や『言志四録』。

構成の点で気になる点がある。
原文が小さな字で、訳文・解説はそれより一回り、二回り大きな字になっている。なぜこのようにするのか理解に苦しむ。原文も見やすい大きな字にすべきである。

それから、本書の訳文は全体的にこなれていない箇所が多く、また疑問に思う訳の箇所もある。いくつか挙げる。

(p.26-p.27)
第四条

万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して、人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し。

(訳)
(国民の手本となり)国民の勤労をご苦労と思うことががなければ、(政治は行われにくい。)

このような訳になっているが、「下民その勤労を」だから、ここは「国民から気の毒だと思われるほどの働きぶりでなければ」というような意味ではなかろうか。


(p.36)「開闢以来」を「日本ができて以来」と訳している。違和感あり。

(p.48-p.49)
第十一条

(略)左は無くして未開蒙昧の国に対する程、むごく残忍の事を致し、己れを利するは野蛮ぢゃと申せしかば、(略)

(訳)
ところが、現実はそうではなく、相手が蒙昧の国であればあるほど、むごく残忍に振る舞ってきたではないか、これこそ野蛮と言わずして何ぞ、と言ったところ

「己を利する」の部分を訳しもらしている。

(p.106)
第二十条

何程制度方法を論ずるとも、其の人に非ざれば、行はれ難し。人有りて、後方法の、行はれるものなれば、人は第一の宝にして、己れ其の人に成るの心懸け肝要なり。

(訳)
どれだけ制度や方法について議論したところで、それを行う適任者がいなければ行われない。その人がいて初めてその方法が行われるだから、まずは適任者こそが第一の宝であって、自らがその適任者になろうとする心がけが大事なのだ。

この条の「人」を「適任者」と訳している。間違いではないが、これだと限定してしまっていて今一つに感じる。(つまり、仕事に適任でありさえすればよいという感じが出てしまう。「人に成る」とは、仕事の適任だけを意味してはいないだろう)
あるウェブサイトでは以下のように訳しているが、筆者は「適任者」よりは、こちらのほうがよいと思う。

どんなに制度や方法を論議しても、それを行なう人が立派な人でなければ、うまく行われないだろう。立派な人あって始めて色々な方法は行われるものだから、人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるよう心掛けるのが何より大事な事である。

出典:敬天愛人フォーラム21

(p.167-p.168)
第三十二条

(略)司馬温公は、閨中にて語りし言も、人に対して言うべからざる事無しと申されたり。独を慎むの学推して知る可し。(略)

(訳)
北宋の司馬光(司馬温公)は、寝床で語る言葉さえ、人に言ってはならぬものはない、人に聞かれて困るようなことはないといっている。独りよがりであってはならぬ学問であればなおさらのことである。

「独を慎む~」をこう訳しているが、どうだろうか。「慎独しんどく(人のいないところでも身を慎み、人倫の道を守っていくこと)という言葉もあるので、ここはその意ではないだろうか。

「遺訓」を確認したい人は、[参考]に記したサイトを通読するだけで十分だろう。全条、原文・現代語訳が読める。

[参考]
「敬天愛人フォーラム21」

『言志四録』佐藤一斎(講談社学術文庫)

『言志四録一日一言』佐藤一斎(致知出版社)

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