日本の都市(三十三)~(三十四)(「東京時事新報」明治45年(1912)1月31日、2月1日)
日本の都市(三十三)
丸亀市(上)
讃岐の中部に在り北は瀬戸内海を隔てて遥かに備前の下津井と相対し東は土器川を帯にして綾歌郡に界し南は仲多度郡南村、西は同郡六郷村に連り一里乃至三里にして多度津、善通寺、琴平等の諸市街と相臨む面積零方里一九、周囲二里十五町、街衢は略ぼ井字形をなして西讃第一の都会たる外観を止むるも輻員甚だ狭小にして建物又た旧式を脱する能わず本町、通町の如き一部の商業地区を除きては到(いたる)処に土塀、格子造りの所謂しもたやなるものを見て活勢甚だ乏し唯南方蓬莱城の旧址を存して此地の風光を彩るを見る
蓬莱城即ち丸亀城にして停車場の南方十丁余海抜百五十尺なる亀山と称する丘陵の上に築かれ晴天の日には海上数里よりして之を望見することを得べし慶長七年生駒氏西讃を統治するに際し支城として築設したるものなるも五世五十四年にして国除、寛政十八年山崎氏封を受けて入部するに及び土木を起して全然旧観を一変したりと云う然かも三世十七年にして祀絶え万治元年京極氏之に代り旧那珂郡の一部並に旧多度、三野、豊田四郡に於て五万石並に藩州網干一万石を管治し七世二百二十年にして王政一新に至れり城は規模壮大ならざるも樹林蓊欝、森間城壁を露わして天守閣の一部今尚お存し其下には第十二連隊の屯営あり銃声剱光丘上の樹壁と相映発して此区の光景市中の寂寥と相似ざるものあり
丸亀市は明治二十三年町制を布き爾来十年にして三十二年四月市制を執行し全市二十六ヶ町を総管する事となれり市制の執行に当り始めて市長の職に就きたるは讃岐の名物漢(おとこ)として少くとも其(その)名海南に伝われる豊田元良氏なりしが氏が疎大の頭脳と不羈の行動とは丸亀市民の容認する所とならず在職五年にして退き退職検事にして市内の会社銀行等に関係ありし長谷川可愛氏之に代われり長谷川氏は着実温和を旨とし事勿れ主義を採りて市政に臨みたるが其治績は可もなく不可もなく在職六年にして辞し次で現市長藤好乾吉氏の上任をみるに至れり藤好氏は身を警察官に起して郡長警部長等に歴任し三十九年休職の後は郷里愛媛に退隠し居たる人なるが曾て任に丸亀に在りし関係上旧縁を辿りて茲に市長の椅子を迎えたるものと知らる
藤好氏来りて後ち即ち四十四年二月に於ては丸亀市としては寧ろ一事業とも目すべき港湾浚渫、水面埋立並に汐入川付替工事なるもの起れり元来丸亀市は金毘羅船々の俗謡を以て有名なる福嶋港の時代より港内水甚だ浅くして船舶の出入に便なる能わず海上輸送機関の発達に伴いて東は高松、西は多度津の両港次第に発展し来り金刀比羅賽客の集散又悉く以上の両港に奪去せられたるの状勢なるを以て市内の有志は茲に奮起する所あり港湾修築の一大事業を完成して以て頽勢の挽回を策しつつあるが技術、財政共に容易なる事業にあらず去れば一歩程として浚渫、埋立乃至は停車場裏手に通ずる汐入川の付替を企図したるものにして此工費約三万余円昨年二月工を起して今や略ぼ竣成の運びに至れり
丸亀市の交通行政を見るに陸上に於ては高松より来たりて多度津、琴平に至る鉄道線路並に之に沿う国道の外(ほか)市内南条町より中府地方を経て仲多度郡木ノ崎に通ずる里道木ノ崎線なるもの及び市内の東部土居を経て土器川を渡り綾歌郡高柳に至る高柳線なるもの並に市内に縦横する数十条の道路あり木ノ崎高柳両線は去四十一年一月より改修工事を起して同年三月竣成し市内の道路又た狭隘迂曲のものを修理し家屋の構造にして其出入著しく道路に平行し能わざるものは之が改築の際厳重なる注意監督を施こす等の方法を採れるも要するに市の交通政策に於ては是等は悉く微細の問題に属し近き将来に於て如何にかして港湾改造の一大英断を断行する能わずんば丸亀市の繁栄は恐らくは近傍多度津或は坂出に奪わるるの止むを得ざるに至らん
讃岐に在りては金刀比羅宮並に普通寺所在の第十一師団は或意味に於て兎も角も欠く可らざるの宝庫にして此間を往来する貨客は頗る頻繁多量なり左れば丸亀市普通寺間、乃至琴平間の交通機関は現在の鉄路以外尚一線を容るるの余地あるべきは勿論にして従来此目的を以て屡次企画を見たる事ありしも時機未だ熟せざる為か中道にして頓挫したるが今回又讃岐電気軌道会社なるもの起りて両地間に電車の運転を為さんとし今や諸般の準備中にあり此事業にして完成せんか丸亀善通寺乃至琴平間を来往するに従前の鉄道線路に由る如き多度津迂回の患なく距離時間に於て優に過半を短縮減少するの大便利ありて丸亀市の享受する利益決して尠少に非ざる可し
[筆者注]
普通寺 「善通寺」の誤植。
日本の都市(三十四)
丸亀市(下)
丸亀市には県立丸亀中学校、同丸亀高等女学校ありて専ら西讃男女の教育に当りつつあるも市の施設に非ざれば之を省き茲には唯直接市の経営に属するものに就て記述す可し即ち小学教育に於ては明治十九年の設立にかかる城北尋小同三十四年の創始になる城西尋小の外(ほか)明治二十年の開校に属する丸亀高等小学に四十三年に至り更に尋小科を併置したる城乾尋高小学の三校あり生[徒数]は四十四年度に於て三千百二十八人此就学歩合九九、七九に居りて成績頗る良好なるが如し右の外東西の両幼稚園ありて初児保育の任に当る
私立にして市費の補助を受くるものには鶏鳴学館、和洋裁縫女学校、実科女学校等あり鶏鳴学館は真言宗の僧侶蓮井霊骸師の設立せる処にかかり義務教育を終え又は終らざる学齢超過の雇人、職工、徒弟等を収集して之が知脳の開発に当るものにして読(よん)で字の如き鶏鳴と同時に授業を開始して昼間の職業に些の支障なからしむること本校の特色とする所なり裁縫学校は是れ又真言宗の僧侶松下通範師の監督に属し前途頗る好望を以て目せらる而して以上の外(ほか)香川県教育会丸亀市部会は明治三十二年の設立にして意を用いて教育問題の討究調査に当り丸亀市皆就学義会は同三十八年の開設にして有志の義捐に由り就学し能わざる者に対し学用品其他を給与して就学の便を与うる一の慈善機関たり又丸亀城西学会なるものあり四十三年の創始にして専ら父兄の会合に成り家庭と学校との連絡を計りつつあり
教育事業は上記の如く相応の発展進歩を為しつつあるに対し市の風紀は一般に甚だ緩怠にして欲目にも之を称賛し能わざるは遺憾なり元来船舶の発着地として海上生活に飽きたる舟人船夫の常に面白からざる風習を陸上に伝播するの常なるに加えて明治六年以来兵営の所在地となり是に属する青年将士の又甚だ顰蹙すべき行動を所在に演出する其結果は需用に応ずる供給機関益々増加して遂には市内一般に汚穢の空気を以て満さるるに至る先覚者の頗る注意すべき事象たらん左れば劇場に戎座、大黒座、寄席に稲座等あるも是れ却って風紀頽廃の機関をなすに止まり近世都市行政の要求するが如き任務は全然之を尽すこと無し唯青年会仏教青年会の両団体あり青年の風紀を革新し勤労、貯蓄の美風を馴養するを目的として活動せんとし曩(さき)に米価騰貴の際は共同して慈善的廉売を敢行したる事実あるも未だ取纏りたる成績□□□べきもの無し而して救済事業としては明治三十二年の創立に成る財団法人海南慈善会あり専ら孤児貧児及び在郷軍人の遺児を収容薫育に従事しつつありて現在の院児三十一人県市共に其経費の幾分を補給せり
丸亀市の衛生事業中重要欠く可からざるは上下水道の築設なるべし北方海に臨み南方一帯の平野に連なるを以て付近に適当の水源地なく市内の井水は大抵茶褐色を帯び塩気又は鉄気ありて到底飲用に堪ゆべからず僅に市外に存在する二三の井水より汲取り来れる比較的の良水を購入飲用するの状態なるを以て市の有志も夙(つと)に上水道敷設のことに着目し当局又調査研究する処ありて今や略ぼ設計を終りたる如きも奈何せん経費の巨大なる容易に市民の肯諾を経べからざるが如し左れど眼を永遠の利害に放ち専ら市民の保健行政より論断し来るときは水道問題は実に市の急務にして一方港湾問題と相並びて一日も忽諸に付すべからざるの案件たらん市は又四十二年に於て共同墓地を設立し翌年屠畜場を開始し市内を二十三区に分ちて衛生組合を置き掃除巡視の下に市内の塵埃汚穢物を搬出せしめ又伝染病院直営する等の事業を為しつつあるも其規模其施設同一程度の諸都市と格別の相違なければ略す
市の勧業行政に於ては各府県博覧会共進会等の開催に当り出品人に其費用を補助し且つ各種職工の精勤者を調査し奨励の為め之に金品を授与する等の方法あり又組合設置の場合、商工業視察の為め各府県へ出張の際など之に相当の補助金を給付する事あり市内に存在せる実業協会なるものは専ら商工業の発展助長の方法を攻究尽力する団体なるが近頃漸次に活動せんとする処あるが如く又農業助長の為めには市農会ありて指導奨励に努め市も亦品評会開催の場合等には相応の補助金を交付せり市内に存在す重るなる組合は丸亀漁業組合、丸亀団扇同業組合等にして市場には蔬果市場、魚市場、道具市場等あるも何れも個人の経営にして市は何等の関係する処なし
丸亀市の財政は四十四年度に於て歳入六万九千九百三十七円余、歳出経常三万五千八百十一円余、同臨時三万四百七円余なるが歳入の重なるものは云うでも無(なく)市税の三万七千五百八十八円余並に公債の一万六千円にして歳出は経常部に於て設計の一万七百十八円、教育費の一万七千六百六十五円、衛生費の二千百二十三円等を主とし臨時部に於ては土木費の三万四百七円其大部分に居る而して右は前項交通事業中に於て説明したる如く港湾改築の一歩程として計企したる湾内浚渫、埋立、汐入川付替工事に属する費用にして其資源は之を短期市債二万二千円に叩き埋立地売却の上償還する方針にして漸次予定の如く進捗しつつある如し
又市営屠場設立の為め起したる四十円の市債あるも右は市税に由り已に其過半を償却したれば市の財政状態は先(まず)以て健全と見るを主当とす唯近き将来に発生する港湾、水道の両大問題を解決するには茲に巨額の市債を起さざる可らざること言う迄もなき所ならん(完次は高松市)
(原文は旧字旧かな。新字新かなに改める。「□」は、判読不能の字。)