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『月と蛇と縄文人』大島直行(寿郎社)

『月と蛇と縄文人―シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観』大島直行(寿郎社)

2014年1月28日
277頁




著者は、考古学者。
ユングの「普遍的無意識」「元型」、エリアーデのイメージとシンボルについての宗教学、ネリー・ナウマンの縄文研究等々を解説しつつ、縄文人の精神世界を論じた本。

試みはとても興味深い。
また、大きくはないが土偶や土器などの写真(白黒)が豊富に収められているのはよい。

(p.28~)

(ネリー・)ナウマンは直接触れていませんが、女性の生理周期の二九・五日が月の運行周期とまったく同じであることを太古の人間が知っていた例としては、たとえばフランスの旧石器時代の女神像ドルドーニュの「ローセルの女神」があります。女神が右腕に掲げる一三の刻みの入れられたバイソンの角は、満月などの月相の数と月経の回数を象徴しているとされています(『世界女神大全』)

ナウマンは、潮の満ち干や雨や水、また動物や植物の生態など、あらゆる自然現象がことごとく月に支配されていることを古くから人類は知っていたとするロバート・ブリフォールの指摘を引用しています。人類は「再生」のイメージを月の運行になぞらえ、月を「再生」そして「不死」のシンボルとして崇めるようになったのだと考えたナウマンは、『生の緒』の中で、土偶に見出される月の象徴的造形について言及しています。(略)

「月」だけではく、ナウマンは土偶における「女性」も、そして「蛇」や「蛙」も、「死と再生」を象徴すると指摘しています。女性は身ごもる姿が再生のシンボルとなり、その身ごもりが月からもたらされる「水」(精液)によることを世界中の神話が伝えていると力説しているのです。そうした「月の水」が、「涙」や「鼻水」「よだれ」として土偶に表現されていることも、カール・ヘンツェの研究を援用しながら読み解いています。月の水が大地にまかれ、植物や動物が生まれることを意味しているのだと。

だから、土偶は月の水を集める器である、という著者の推測は興味深い。

ただ、全体的に論述の体をなしていないのがよくない。説を論じるなら、わずかでもその論拠となるものを示さなくてはいけないが、多くの箇所で示していない。恣意的な解釈、ただの憶測になってしまっている部分が多い。(当然、「憶測だが」「想像だが」などと断って述べるのは、問題ない。念のため)
ひとつ挙げれば、縄文人が緑色のヒスイを好んだのは、植物の緑の「再生」のシンボルを見たからだと、特に論拠もなしに断定している。(p.129)
(例えば、緑のヒスイは「水」のシンボルという解釈も考えられると筆者はおもうが)

それから、ユングの元型のグレートマザーの象徴を多くの箇所で「子宮」と表現しているのが気になった。これは太母や太母原型と訳される語だが、文化人類学その他でも、「子宮」とは表現しないと思う。(表現としては、母胎(母体)が多いか)。子宮は臓器(器官)をいうので違和感がある。なにか意味があるのだろうか。

あと、表紙(カバー)の裸の妊婦は写真だと思っていたが、絵であることに驚いた。(廣戸絵美画)

『月と蛇と縄文人』大島直行(2020・角川ソフィア文庫)368頁

月と蛇と縄文人

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