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『でっちあげ』福田ますみ(新潮文庫)

『でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相』福田ますみ(新潮文庫)

2009年
344頁




目次(収録作品)

序章 「史上最悪の殺人教師」
第1章 発端ー「血が汚れている」
第2章 謝罪ー「いじめでした」
第3章 追放ー停職6か月
第4章 裁判ー550対0の不条理
第5章 カルテーPTSDの真実
第6章 判決ー茶番劇の結末
終章 偽善者たちの群れ/「でっちあげ」事件、その後

「早く死ね、自分で死ね。」2003年、全国で初めて「教師によるいじめ」と認定される体罰事件が福岡で起きた。地元の新聞報道をきっかけに、担当教諭は『史上最悪の殺人教師』と呼ばれ、停職処分になる。児童側はさらに民事裁判を起こし、舞台は法廷へ。正義の鉄槌が下るはずだったが、待ち受けていたのは予想だにしない展開と、驚愕の事実であった。第六回新潮ドキュメント賞受賞。

出典:新潮社公式サイト

『でっちあげ』事件、その後(1) 福田ますみ

 今年1月20日に出版した拙著『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』は、ある小学校教師が、児童の母親の虚言とメディアの妄信によって、「史上最悪の体罰、いじめ教師」に仕立て上げられていく過程を追ったノンフィクションであった。発売直後から多くの方にお読み頂いたことに感謝しきりである。
『でっちあげ』は、平成18年7月の1審判決で、原告側親子の訴えの多くが認められず、教諭本人への損害賠償請求も退けられたが、原告側がこれを不服として控訴したところで筆を置いた。このため多くの読者から、「その後を知りたい」という声をいただいた。
 そこで、今年1月から始まった控訴審の状況をお伝えすることにする。 
実は、原告側はなんと、3月5日付で教諭への控訴を取り下げた。ということは、控訴審自体が打ち切りとなり、1審判決で確定かといえばそれは違う。混同してほしくないのだが、これは訴え自体を取り下げたということではない。あくまで教諭への控訴のみを取り下げたのだ。
 何ともややこしい話で恐縮なのだが、今回の訴訟の被告は教諭と福岡市の二者である。つまり原告は、教諭に対してだけ控訴を取り下げ、福岡市に対しては控訴審を続行する構えなのである。
 1審判決が下った時、児童の両親は「信じられない」と絶句。原告側代理人の大谷辰雄弁護士も、「PTSDが否定されたことは理解できない。いじめの内容や回数でも主張が認められなかった部分が多く、認定は不十分」として、「原告の『でっち上げ』と認定された判決」(控訴理由書にこうある)にはとうてい承服しがたいと、ひき続き控訴審で争う意向を示していたのである。
 ところが、いざ裁判が始まってみると、原告側はあっさりと教諭への控訴を取り下げてしまった。私はその理由を問おうと、大谷弁護士に電話を入れたが、「あんた何様だ。あんたに話すことはない」と即座に電話を切られてしまった。
 代わって、教諭の代理人である上村雅彦弁護士が説明してくれた。
「原告側は表向き、被害者である児童本人が、教諭が本訴訟に関与していないなら当審において証言したいと決意したからだと理由を説明しています。しかし実の狙いは、原審判決で認定された軽微な体罰やいじめに対する220万円の慰謝料請求だけは維持したい、2審判決でこれも取り消されては困ると考えて、教諭への控訴を取り下げたのでしょう」 
 要するに、この2審で1審以上の有利な判決を勝ち取れない場合を見越してのことだというのである。
 だとすれば、福岡市との間だけ控訴審を継続する理由は何だろうか。
 教諭は原告側の主張に対し、事実無根だとして全面的に争っている。ところが福岡市の場合は、すでに教諭に懲戒処分を下している立場なので微妙だ。その処分の際に認定した範囲内の体罰やいじめについては事実関係を争っていない。原告と福岡市の間の争点はPTSDの有無だけである。
 そこで、事実関係全てを争っている厄介な教諭を外して、与しやすい福岡市とだけPTSDの有無に絞って争うというのが、原告側の法廷戦術なのであろう。
 しかし、これは非常に姑息な手段と言わざるを得ない。
「当初原告は、教諭にあらん限りの非難を加え、公務員個人としての直接的な責任を強く主張し、教員の資格までをも剥奪すべきであるとして提訴したのです。それが一転、無実を争っている教諭の関与を排除しようとした。これは、正義を真っ向から否定するもので到底許されない」
 教諭のもう一人の代理人である南谷洋至弁護士は、こう強く批判する。
 だが幸いにして、教諭にも道は残されている。南谷、上村両弁護士はただちに「補助参加」という法的措置を裁判所に申請し、許可された。教諭は今後、被告という立場ではなくなるが、裁判では事実上これまでと同様に自身の主張を行なえることになった。
 なお、原告側は現在までに、いくつかの証拠を追加提出している。
 ひとつは、一時児童が通学していたインターナショナルスクールの外国人教師に宛てたとする短い英文で、その中で児童は「気分が悪く何回も吐いた」「記憶がよみがえって死ぬほど怖くなった」など、PTSDの症状を訴えているという。
 他には、児童自らが主治医である久留米大学病院の前田正治医師に向かい、一連のできごとについて証言しているビデオ、同病院の医師、スタッフら3名の陳述書が提出されている。病院総がかりで、何としても児童のPTSDを証明しようということだろう。 
 今後の裁判日程だが、7月に児童本人の証人尋問が非公開で行われ、その後に、久留米大学病院のスタッフへの証人尋問が行われる予定である。
 その様子などは、またこの場を借りてお伝えできればと思っている。

2007年5月

『でっちあげ』事件、その後(2) 福田ますみ

 今年1月20日に出版した拙著『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』は、1審判決を記して結びとしたが、裁判はいまだ終結していない。そこで、この場を借りて、その後の控訴審の状況を折々に報告している。
 原告が3月5日付で教諭への控訴を取り下げ、もう一方の被告である福岡市とだけ控訴審を続行している事実をお知らせした前回に続き、今回は、7月9日に行われた原告の少年の本人尋問の模様を詳しくお伝えしたい。
 9歳(小学校4年生)の時、担任である川上教諭からPTSDになるほどの体罰やいじめを受けたと主張する少年も、現在は13歳。熊本県の私立中学に通う2年生である。今回少年は、教諭の不出廷を条件に、主に薬の処方のために月1回程度通院している久留米大学病院での非公開法廷に臨んだ。
 教諭(控訴取り下げにより、被告ではなく「補助参加人」となった)の代理人である南谷洋至弁護士は、法廷での少年について、「特に不健康な印象は受けなかった」という。
 ところで、非公開法廷の内容を、それも少年の証言を公開してもよいのだろうかと疑問を抱く向きもあろうかと思う。これについては、教諭のもう一人の代理人・上村雅彦弁護士の説明が明快であろう。
「少年の尋問を非公開で行うということと、尋問内容まで非公開(秘密)にするということとは別問題であり、本件で尋問内容を公開することに何ら支障はありません。なぜなら、尋問を非公開にした理由は、原告側が『法廷で尋問を実施すると少年の病状が悪化して証言不能に陥る可能性がある』と主張したからであり、すでに少年の尋問は終了しているからです」
 そもそも民事訴訟の口頭弁論は、あくまで公開が原則である。さらに、当事者には当然、立会権がある。ところが今回の本人尋問では、原告側が「少年には証言したいという思いがある」ものの「教諭が参加すると」、あるいは「法廷で実施すると」「病状が悪化して証言不能に陥る可能性がある」と説明したことから、教諭側は原告側に大幅な譲歩をし、その結果、非公開、教諭の立会なし、となったのであった。
 証言台で少年は、「前の裁判官の人には僕がうそついてるように思われたから、今回の裁判官には僕はうそついてないということを証明したいと思って、出ました」と決意のほどを語り、代理人である大谷辰雄弁護士の主尋問には次のように答えた。
たとえば体罰については、「耳を引っ張られたり鼻をつかんで振り回したり、ほっぺたをグーでぐりぐりとしたり、アイアンクローという片手で僕の頭を握りしめるというのをされました」
 教諭からの“自殺強要”に関しては、「おまえはけがれた血だから自殺しろとか言われて、最後はけがれた血とか言わずに、自殺してこいとか、なんで自殺してこんかったのかとかと言われて、今日はしてこいよとか言われました」。「どこで言われたのか」との問いは、「トイレで、今日は絶対してこいよと言われた」と述べた。
 奇妙なほど情景描写が鮮明な、こんな陳述もあった。
「放課後、晴れているときに窓が開いてて、太陽とあの人の顔がかぶって表情が全然見えなかったけど、自殺しろって言われたのも覚えてます」
 一連の少年の証言に、具体性があり信用できると感じる方がいるかもしれない。だが、そう捉えるのは早い。
これまで原告側は、教諭が家庭訪問の場で母親に「穢れた血」と言ったのを少年が聞いてしまい、翌日、学校の図書室で辞書を調べてこの言葉の意味を知り、衝撃を受けたと主張してきた。だが少年自身は、「家庭訪問のときは(中略)、けがれた血とか言ってるのは聞こえなかったと思います」というのだ。また、「帰りの会の時、他の児童がいる前で実行された」としてきた体罰についても、「放課後が多かった」と証言した。
 自身に有利なはずの主尋問においてさえこうした矛盾が露呈し、これが反対尋問に移ると、上村弁護士が「結局は『証言不能』と何ら変わるところがない」と呆れるほど、「覚えてません」の連発なのである。
 以下は南谷弁護士と少年とのやり取りだ。
「家庭訪問の次の日に、これは訴状に書いてあるんですが、(中略)鼻血をつけて帰ってきたということが書いてあるんですけれども、その鼻血というのは、どこで出たんですか?」「覚えてないです」。教諭の体罰やいじめを「お母さんに話したのはいつ?」「全然、覚えてないです」
 裂けるほど耳を引っ張られて化膿したという大怪我については、「かすかにちょっとだけ覚えてます」。「両手をグーにしてほっぺたをぐりぐりするのは、これは何に当たるんですか?」「名前があったかというのも、全然覚えてないです」
 主尋問で、教諭の「自殺強要」によって自宅マンションの6階に上がり、開放廊下の壁部分によじ登って「そのまま降りて自殺しようか(中略)ずっと考えてた」と語っていたのを受け、「何時頃そこに上がったのか?」「どのくらいの時間そこにいたのか?」と尋ねても、「全然覚えてないです」
 その他、事件当時のクラスの帰りの会の状況も、PTSDの症状が出始めていたはずの夏休みのことも、精神科病棟に入院中のことも、PTSDを判定するためのテストを受けたことも、ことごとく「覚えてません」
 原告側は控訴審において、少年が転校したインターナショナルスクールに通っていた当時、外国人教師に宛てて書いたとされる英文の日記のごく一部を証拠として提出した。内容は「気分が悪く何回も吐いた」「記憶がよみがえって死ぬほど怖くなった」など、PTSDの症状を訴えたものだ。
 ところが、少年自身が書いたはずのこの英文を目の前に示されて、「これはどういうことを書いたか覚えてる?」と問われても、「覚えてないです」。「意味は思い出しましたか?」と重ねて尋ねられて、「ちょっとわかります。何か思い出して書いたと書いてあります」
 質問にはっきり答えたために、かえって墓穴を掘ってしまった場面もあった。
 少年の主治医である久留米大学病院の前田正治医師は、2003年9月の初診時に少年に自殺願望があることを知って驚き「死なない約束をした」と、かつて法廷で証言していた。ところが、この点を上村弁護士が改めて少年に尋ねると、約束は「最近、1か月前ぐらいにした」と言う。つまり、前田医師が4年前の初診時に交わしたと主張していた約束は、実際は今年の6月初旬にしたものだというのだ。
 これには上村弁護士も驚き、「前田先生との間では、自殺するという問題については話し合ってきてなかったということですか」と念を押したぐらいであった。
このように、原告側の切り札というべき本人尋問は、その狙いとは逆に、矛盾ばかりが浮き彫りになるという結末に終わった。
 9月12日には、少年のPTSD症状の判定などに関わった久留米大学病院のソーシャルワーカーが原告側証人として出廷したが、反対尋問の途中で時間切れとなり、11月に再度その続きが行われることとなった。
 これらについては、次回改めてお伝えしたいと思う。

2007年10月

『でっちあげ』事件、その後(3) 福田ますみ

昨年1月にスタートした控訴審は、原審(1審)同様、波乱の展開となったが、本年5月27日にようやく結審した。
 まずは、「でっちあげ、その後(2)」で予告しながら報告が大幅に遅れてしまった、久留米大学病院のソーシャルワーカー・大西由岐(仮名)の法廷での証言について取り上げたい。
 原告側証人である彼女の証人尋問が行われたのは、昨年9月12日と11月16日である。
 なんとしてでも、裕二を重篤なPTSD患者であると認めさせたい原告側が、彼女を証人として出廷させたねらいは何であろうか。
 PTSD診断に用いる面接形式のテスト、CAPSの判定を行う資格を有している大西は、同大学病院の臨床心理士とともに、2004年6月25日、裕二に対して2回目のCAPSの判定を行い、122点という高得点を算定した。
 ちなみに第1回目のCAPSは、裕二の主治医である前田正治医師が、“事件”から4か月後の03年9月12日に行い、この時も119点という高い点数を示した。
 裕二はこの後、同年10月から翌04年4月まで久留米大学病院に入院(実際は、その半分以上が自宅外泊)。退院後はA小学校には戻らずインターナショナルスクールに転校し、2回目のCAPSを受けた時は通学中だった。入院加療を経ているにもかかわらず、1回目の点数よりさらに上回ったのは、PTSDが依然重篤である証左らしい。
 しかし原審で、前田正治医師が原告側証人として非公開法廷に出廷し、この高得点を理由に、裕二がPTSDに罹患していると主張したにもかかわらず、原審判決でその主張は完全に退けられた。
 なぜなら、CAPS検査には裕二の母親・和子が付き添い、裕二に代わって積極的に発言したため、その検査結果は、和子の供述を反映したものに過ぎないと認定されたからである。ちなみに原審判決では、和子の供述全般に信用性はないと断じられている。
 そこで、2回目のCAPSでは、和子の発言が反映されていないことを、判定者である大西に証言させようとしたものと思われる。出廷前に提出された大西の陳述書にも、「裕二君のお母さんはその場に立ち会っておらず、裕二君と3人で行いました。したがって、このときは裕二くん自身から話を聞いたということになります」とある。
 そして法廷でも彼女は、母親・和子の関与について「(面接が行われた)プレールームの中にはおられました。面接自体には立ち会ってないんです」と述べている。しかし、この2回目のCAPSについて記されたカルテにははっきり、「CAPS←with Mo(母と)」とある。
 しかも、「CAPS時は、時折は面接時と同様にMoからの応答を否定することもあるが、これは、自身の症状を是認したくない場合よりも記憶していない理由による方が多い様子」などと具体的な状況も記載されている。
 この点を被告である福岡市から追及された大西は、
「市の方からいただいた準備書面を見て、確かにお母さんが発言されたのかなというふうな記憶が少し、そう言えばあったなという程度で戻ってきたというのが正直なところです」
 と認めざるを得なくなった。
 こうして彼女は、2回目のCAPS検査において、1回目と同様に和子が面接に立ち会い発言している事実を渋々認めた。だが、その発言が検査の結果自体に与えた影響については否定し続けた。
 原告側が、大西を証人として出廷させた理由は実はもうひとつある。
昨年07年3月7日、大西は和子の運転する車に同乗し、二人で裕二をA小学校に連れて行ったのである(祐二はこのとき隣県の私立中学の1年生)。その理由を大西は、「主治医からそのような指示を受けたからです」、その目的については、「症状査定と記憶の喚起だと理解しています」と述べた。
 主治医である前田正治がいかに裕二のPTSDを主張しようと、症状が出現した場面を第三者は誰一人見ていない。カルテにもPTSDの発症を裏付ける記載はない。そこで、切羽詰った前田は、何らかの症状が出ることを期待して、裕二をA小学校に連れて行くことを指示したのであろう。
 裕二は学校に近づくにつれて、どのような状態になったのか。
「こわばった感じに加えて、小さい声で、初めは何を言っているかわからなかったんですけれども、嫌だ嫌だというようなことを、つぶやくように言っていました」
「嫌だ嫌だと言ったあとは、今度は、怖い怖いというようなことを言い出したと同時に、(中略)学校も近づいてきておりまして、そういう中で、運転席と後部座席の間に隠れてしまうような、頭をすっぽり下に隠して、その間に入り込んでしまうような行動に出られました」
「(学校にさらに近づいた時には)過呼吸を起こしているという状態でした」
「これは明らかにPTSDの中の侵入症状、再体験症状による過呼吸である、フラッシュバックによる過呼吸であるというふうに判断できました」
 しかし、言葉でそう強調するだけで、その瞬間を写した写真やビデオの提出は一切ない。A小学校へ出かけたことを、裕二に対する「治療の一環である」と言いながら、カルテに記録もない。
 裕二は、久留米大学病院に入院中、サッカーの練習のためにA小学校に何度も通っていた。その際に何の異常も見られなかったことは、他の保護者や児童が目撃している。それなのに“事件”から4年も経って、A小学校に近づいただけでPTSDの症状が出るとはどうしたことか。辻褄の合わないことばかりである。
 福岡市や補助参加人(川上教諭)の代理人は、大西に対してぜひ尋ねたいことがあった。裕二が久留米大学病院で診察を受けるにあたり、母親の和子から例の「家族歴」を聴取してカルテに記載したのは大西だったからである。その肝心の「家族歴」は、裁判の過程で内容のほとんどが虚偽であったことが明らかになっている。
 それにたいし和子は、自分に離婚歴があることや、縁を切っていた母親について聞かれるのが嫌だったので、あえて事実と違うことを話したと陳述書で釈明している。
 だが、その他の誤った記述(夫に留学経験がある、和子自身は幼少時代から第一子が生まれるまで米国在住だった、など)については、「たぶん話していない」と否定する。
「早く質問を終わらせようとしたり、質問に対して否定も肯定もしないような曖昧な返事をすることがままあった」ため、聞き手である大西が憶測でこう書いたのだろうと主張しているのだ。
 常識的にはまず考えられないためか、川上の代理人である南谷洋至弁護士が大西に事実関係を確かめた。
「(前略)お母さんが言っていないこと、あるいは、あなたが聞いてもないのに、こういうことじゃないかというような憶測で書かれたような部分がありますか」
「申し訳ありません。よく覚えていません」
 原告側証人として出廷している以上、こう答える他ないのだろう。しかし、南谷が「通常はどうですか」と一般論に話を向けると、
「(前略)お聞きした内容を自分なりに理解をして、自分の中で経緯がわかるような形で記載をするというようなところがございまして、決して言われてないことを書くということはございません」
 彼女はそう明言した。おそらくこれが本音だろう。
 前田医師は、精神科の診察において家族歴を聴取する理由を、「治療を進めていく上での大きな材料になる」と述べている。
 そもそも、わが子の重病を一刻も早く治したいと願っている親が、治療に有用な情報に関して、事実でないことを申告するということなどあり得るだろうか。仮にそうであったならば、それはとりもなおさず、裕二が重篤なPTSDなどではなかったことを物語っているのではないか。
次回は、5月27日の結審に至る経緯を報告する。

2008年7月

『でっちあげ』事件、その後(4) 福田ますみ

 報告が大幅に遅くなってしまったが、2008年11月25日、控訴審判決が言い渡された。
 判決内容に触れる前に、同年5月27日の結審に至る経過をたどっておきたい。2007年1月から始まった控訴審は、当初、2008年2月7日に結審を迎えるはずだった。
 補助参加人である教諭側は、2007年9月、旧4年3組の子供たち5人の証言を法廷に提出した。その半年前の3月、教諭がしたとされるいじめや体罰について、「はい」「いいえ」で答えるアンケート形式の質問状を、旧4年3組の子供たちに配布(係わりを恐れて、質問状の受け取りを拒否した保護者が多かった)。そのうちの5人から、子供本人と保護者の実名を明記した回答を得たのである。5人の子供はいずれも、原告側が主張するいじめや体罰を否定。中には、「先生は無実だと思います」と書き込む子供もいた。
 明くる2008年1月には、原告側、福岡市、補助参加人、3者の最終準備書面が提出された。まず原告側の主張はこうである。
 裕二の本人尋問に関して、裕二が、当然覚えているはずの記憶の大半を喪失しているのは、PTSDの症状の一つである健忘によるものである。もし裕二にPTSDによる症状がないなら、一体何を好き好んで、健康なわが子を精神病棟に入院させる親がいるだろうか。だから、親子が虚偽の事実を述べるわけがないという、苦しい論理展開を行っている。補助参加人や福岡市が指摘している数々の矛盾点については、沈黙したままである。
 福岡市は、「控訴人ら(原告)の控訴審における主張・立証は、結局、原判決を覆すようなものではなく、被控訴人が求めてきた証拠等の開示もない」とし、原判決が認定する本件不法行為の程度・内容からすれば、220万円という慰謝料は高額すぎるため、「50万円に是正されることを求める」としている。しかしこれは、50万円の慰謝料なら応じるということであり、つまり、1審の判決が破棄され、控訴人の請求すべてが棄却される可能性はゼロになったということである。
 最後に補助参加人の主張である。先にも述べたが、級友5人が川上教諭の不法行為を明確に否定していることをまず強調し、浅川和子の陳述書と、裕二の法廷での証言に著しいズレが生じていることを指摘している。たとえば和子は、教諭が家庭訪問の場で「穢れた血」と言ったのを、裕二が隣室で聞いてしまったと主張しているのに対し、裕二自身は、「家庭訪問の時は聞いていない」と証言。また、和子が、「10カウントは帰りの会の時行われた」としているのに、裕二は「放課後が多かった」と主張していること。肝心の10カウントの詳細については全く語らなかったことに注目し、これでどのようにして、訴状に記載されている教諭の不法行為の日時や場所を特定したのかと強い疑問を呈している。
 さらに、2004年6月、裕二に対して行われた2回目のCAPS検査(PTSD診断に用いる面接形式のテスト)で122点という高得点が算定された時、裕二が実際はどのような状態だったかについても言及している。
 原告側は、この高得点を裏付けるものとして、当時通学していたインターナショナルスクールの教師に宛てて裕二が書いたとされる英文の日記の一部を、2007年3月に法廷に提出している。「気分が悪く何回も吐いた」「記憶がよみがえって死ぬほど怖くなった」という内容で、PTSDの症状を訴えていると主張していたが、その後、日記の全文が開示されると、ほぼ毎日、「僕は元気です。幸せです」「僕は学校を楽しんでいます」と記されており、おおむね元気に日常生活を送っていたことが明らかとなったのだ。
 2008年2月7日、結審当日。これであとは判決の日を待つのみかと思いきや、石井宏治裁判長は突如、福岡市に対し和解勧告を行った。市の代理人である山本郁夫弁護士は、「福岡市は川上が違法行為を行ったことを前提としているので、和解することはやぶさかではない」と応じ、急転直下、原告と福岡市は和解手続きに入った。しかし、和解金額を巡って折り合いがつかず、結局、和解は不成立となった。改めて弁論は続行となり、再度の結審は5月27日と決まった。
 すると原告側は、同年4月、浅川裕二自身が綴った「裁判官のみなさんへ 和解案を読んで」という書面を、次いで5月には、裕二のPTSDを証明するために、自宅での症状をビデオで録画撮影したものを提出した。裕二の書面は、「裁判の和解案というのを読んで、僕はとても悲しい気持ちになりました。僕の言ったことを信じてもらえなかった、僕の病気も信じてもらえなかったからです」という文章から始まり、川上の体罰や「アメリカ人」などと言ったことを、友人たちが裁判で証言していること、校長がクラスメート全員にアンケートをとり、80%の友達が「(川上の)暴力を見た」と回答したことなどを挙げ、「僕のまわりの人の言うことは、どうして全部信じてもらえないのですか?」といらだちをぶちまけている。
 そして、「自殺(強要)のことは、はっきり覚えています」と強調し、2007年7月に法廷に立った時と同様の内容を繰り返した。
「(教室で)とても晴れてる日にあの人が『おまえの血はけがれとうったい。早く死ね』とか言ってる時、太陽の光がまぶしくて、あのひとと重なっていた光景の時に言われました」
 この供述について、教諭と代理人が検証を行った結果、体罰が行われたとされる季節、放課後の教室に太陽の光が差し込むことはあり得ないことが判明した。
 一方、ビデオには、自分は教諭にいろんなことをされたのに、(裁判官は)なんで自分の言うことを信じてくれないのかと泣きわめく裕二が、PTSDの身体症状の一つである「過呼吸」を発症したとして、和子にペーパーバッグ法という応急処置を施される様子が映っている。しかし、本当に「過呼吸」になったかどうか、このビデオの映像では断定できない。
 さて、11月25日、注目の控訴審判決である。裁判長は被告である福岡市に対して、1審より110万円上乗せした「330万円を支払え」と言う損害賠償命令を言い渡した。判決で認定された体罰やいじめの「事実」は1審と全く変わるところはなかった。「教諭は2003年5月頃、10カウントに伴い、ミッキーマウスやピノキオなどを数回にわたり行ったこと、裕二に対しゲーム中に、『アメリカ人』『髪が赤い』などと述べたこと、裕二のランドセルをゴミ箱に捨てたこと」というものである。ところが、あらたに、「裕二は川上の不法行為により、通院治療をせざるを得なかったと認められる」の一文が加わり、賠償額が増えてしまったのである。
 再び教諭の体罰やいじめが一部認定されてしまったが、これも1審と同様のパターンで、被告である福岡市がすでに一定の範囲内で教諭の不法行為を認めてしまっているため、その「事実」については「争いがない」として全く検証しなかったからだ。その上、この控訴審では、「川上は、被告ではなく被控訴人(福岡市)の補助参加人なので、被控訴人が自白している事実を争うことはできない」(判決文)と記された通り、補助参加人の主張や証拠(子供たちのアンケート結果)は黙殺されてしまったのである。原告側が教諭の控訴を取り下げた法廷戦略は成功したのである。
 しかしながら今回も、家庭訪問での「血が穢れている」などの人種差別発言や自殺強要、PTSDを発症したとする浅川親子の主張はことごとく、「信用し難い」「全般的に信用性に疑問のある点が多い」として退けられた。
 原告側、福岡市、双方とも上告を断念したため、足かけ6年に及んだ「いじめ教師裁判」はここに終結した。福岡市は、「賠償額は引き上げられたが、市の主張は概ね認められた」とコメントし、原告側の大谷弁護士も、「PTSDが認められないなど不満な点も残るが、教諭が男児にいじめを行ったことがはっきりした」と、(上告しない以上)、一応満足の意を表明した。私はこの時も、弁護士に話を聞こうと何度も事務所に電話を入れたが、彼は逃げ回って電話口に出ようともしなかった。
 蚊帳の外に置かれてしまった教諭は、停職6か月の処分に対して不服申し立てをしており、裁判によって中断していた審理がまもなく再開される。福岡市の担当者は、「処分時にはわからなかった原告側の矛盾点や虚偽が法廷で暴露されており、当時の処分内容が妥当だったのかについて検討する必要はある」と話す。
 福岡市もまた、モンスターペアレンツにまんまと騙されたという忸怩たる思いがあるはずである。福岡市が勇気をもって処分を撤回していれば、教諭の冤罪がすべて晴れた可能性はある。
「何度でも言いますが、私は、原告の親子が主張する体罰やいじめは一切していません。それなのに、当事者である私を抜きにした原告、被告(福岡市)双方の中身のないなれ合い裁判で、私の違法行為が一部にしろ認められてしまったのです」
 教諭は憮然とした表情でこう言う。
 平たく言ってしまえば、「1審より110万円上乗せしたのだから、原告はここらで手を打ちなさいよ」という示談的な判決であり、土台、民事訴訟に真実の究明を期待する方が無理だったのである。
 現在、原告の少年は熊本県の私立中学の3年生である。判決では、彼自身の供述の大半が、「信用し難い」と退けられた。少年を「嘘つき」にしたのはいったい誰だったのだろうか。

2009年2月

いじめも体罰もなかった。冤罪が証明された「殺人教師」 福田ますみ

 福岡市の公立小学校の教師が、教え子の児童に対し、人種差別によるいじめや体罰、自殺強要を行ってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症させたとして、マスコミの集中砲火を浴びた事件からまもなく10年がたつ。きっかけは朝日新聞だが、煽ったのは「週刊文春」である。
「『死に方教えたろうか』と教え子を恫喝した史上最悪の『殺人教師』」。目を剥くようなタイトルと実名、顔写真を晒しての告発に、全国ネットのワイドショーまでが取り上げる大騒動になった。
 拙著『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮文庫)は、この事件に取材し、教諭の無実を訴えたルポである。児童の保護者による民事訴訟の2審の判決で、わずかな体罰やいじめが認定されてしまったところで筆を置いた。
 教諭の冤罪を確信している筆者としては納得のいかない幕切れであり、特に2審の判決以後、ネット上で拙著の信憑性を疑うコメントが増えたことも悔しかった。ところが、事件は実は、民事訴訟の終結をもって終わったのではなかった。ドンデン返しのさらにドンデン返しともいうべき結末が待ち受けていたのである。
 それを語る前に、まずは事件を振り返ってみよう。
 被害を受けたとされる4年生の児童、浅川裕二(仮名)の母親、浅川和子(仮名)は、この川上譲教諭(仮名)が、2003年5月に実施した家庭訪問の際に、とんでもないことを口走ったと主張した。教諭は、和子の祖父がアメリカ人であることを聞き出すや、「血が混じっているんですね」と言い出し、その後アメリカ批判を展開。「日本は島国で純粋な血だったのに、だんだん外国人が入って来て穢れた血が混ざってきた」と発言したという。
 この家庭訪問の翌日から、教諭による凄惨ないじめが始まったという。下校前、教諭は裕二に「10数える間に片付けろ」といい、10秒間でランドセルを取りに行き、学習道具を入れることを命じた。それができないと、「アンパンマン」(両頬を指でつかんで強く引っ張る)、「ミッキーマウス」(両耳をつかんで体が浮くほど強く引っ張る)、「ピノキオ」(鼻をつまんで振り回す)などの「5つの刑」のうち一つを裕二自身に選ばせ、体罰を加えるなどした。
 この「10カウント」と「5つの刑」は毎日、「帰りの会」の時に他の児童の前で行われ、裕二は大量の鼻血を出したり、耳が切れて化膿するなどした。また教諭は、「穢れた血を恨め」と暴言を吐き、クラス全員でのゲーム中にも、「アメリカ人やけん、鬼」などとひどい差別発言を繰り返していた。
 さらに教諭は裕二に対し、「お前は生きる価値がない。早く死ね」などと「自殺強要発言」までしていたという。これらのいじめにより、裕二は深刻なPTSDを発症したという。
 この両親の訴えに対して、教諭は、すべて事実無根であると主張した。騒ぎの発端である家庭訪問にしても、裕二の漢字や割り算のテスト結果、裕二が属しているサッカークラブでのことなど、担任教師が家庭訪問で話すごく普通のことを伝えただけである。
 和子の祖父がアメリカ人であることも和子の方から切り出したことであり、アメリカ生活が長く、帰国した時日本語がしゃべれなくて困ったことなどを、彼女は長時間しゃべり続けた。「血が混じっている」という言葉にしても、「ああ、アメリカの方と血が混じっているから、(裕二君は)ハーフ的な顔立ちをしているんですね」と返しただけであり、「血が穢れている」などとは断じて言っていないという。
 教諭は、その後の教室でのひどい体罰や大量の鼻血が出るような怪我、「アメリカ人やけん、鬼」などの差別発言も一切を否定する。
「10カウント」については、裕二は帰り支度が遅く他の児童にまで迷惑をかけていたので、「はい、10数えるからランドセルを取って来て」と指示しただけのことである。
 アンパンマンやミッキーマウスについては、マスコミにより、あたかもひどい体罰の代名詞のように報道されたが、そもそも、体罰にならない上手な叱り方として、教諭が先輩教師に教わったもので、ほんのちょっと頬や耳や鼻に触る程度のことだ。「5つの刑」という言葉は使ったことさえない。
 自殺強要発言については、西日本新聞を読んで初めて知ったほどである。あまりにも荒唐無稽な話で、怒りを通り越して呆れてしまったという。
 教諭は当初、浅川側の抗議に対し、「やっていない」と強く否定していた。ところが、浅川夫婦の尋常ではない剣幕に恐れをなした校長と教頭は、事実関係の詳しい調査もせず、川上教諭に謝罪を強要したという。ただしこの時点では、「自殺強要発言」や裕二のPTSDについては浅川夫婦から訴えはなかったため、この点について、教諭は謝罪していない。
 ところが浅川夫婦はこの謝罪にも納得せず、「担任を替えろ」と強硬に主張。困り果てた校長は川上教諭を担任から外したが、それでもなお抗議を続ける夫婦に完全屈服。教諭を市の教育センターに預けてしまった。そしてこの頃、朝日新聞の取材を皮切りに、マスコミの激しいバッシング報道が始まったのである。
 担任を外され学校を追われた川上教諭に対し市教委は長時間の事情聴取を行い、停職6か月という厳しい懲戒処分を言い渡した。
 主な認定内容は次の通りである。
 川上教諭は裕二に対し、「ミッキーマウス」や「アンパンマン」「ピノキオ」などの体罰を4月から6月にかけて断続的に行った。これは、学校教育法で禁止されている体罰に当たる。しかし、日時、体罰の態様、頻度は一切不明である。
 裕二のランドセルをゴミ箱に置く、あるいは入れるという行為や10数えるうちに行為を完了するよう、いわゆる「10カウント」を行った。授業中やレクリエーション時などに裕二に対し、「アメリカ人」「髪の赤い人」などと言った。家庭訪問時の「血が混ざっている」発言も、人権意識に乏しい不適切なもので、教師にあるまじき行為である。
 ちなみに、裕二のランドセルをゴミ箱に置く、あるいは入れるというのは、教諭によれば、教室の中にランドセルが転がっていたので、「だれの? 取りに来ないとゴミ箱に入れちゃうよ」と言ってふたに置いただけのことだという。裕二は人並み外れて整理整頓が下手で、机の周りには学用品が散乱している有様だった。
 ともかくも、これらの行為や発言が裕二に差別を受けたと感じさせ、さらに、こうした教諭の一連の行為が、自分より弱い者に対し一方的な攻撃を加える「いじめ」の定義にも合致するとしている。
 これを受けマスコミは、「教師によるいじめ」を市教委が全国初認定したとして、大きく報じた。しかし、「週刊文春」はじめマスコミが格好のネタとばかり飛びついた「血が穢れる」発言、人種差別によるとされるすさまじい体罰、怪我などは一切認定されていない。目撃者も皆無で、医者による診断書も存在しないからだ。
 市教委はまた、教諭が、当初は事実と認めていた内容の多くを否定または変更し、関係者全員に混乱をもたらしたことも、懲戒処分の理由とした。
 そもそも停職6か月というのは懲戒免職に次ぐ重い処分で、「ほとんど辞めろと言うのに等しい」とは、当時、市教委担当だった地元記者の言葉である。他にどんな行為が停職6か月に相当するのかといえば、最近では、顧問教諭の体罰が原因でバスケットボール部の生徒が自殺した大阪市立桜宮高校の別の運動部の顧問教諭の例がある。この教諭は以前、6名の生徒の頬を平手打ちして停職3か月の処分を受けたにもかかわらず、再び、部活指導中に一人の生徒の頬を2回叩いたとして、停職6か月の処分を受けた。
 ただし、川上教諭に対する懲戒処分がとりわけ問題なのは、かりに処分内容が事実だとしても、福岡市における他の類似の事例に比べて格段に重い処分であり、著しく公平性を欠いていることである。
 いくつか例を挙げる。
 平成10年10月、中学校教諭が、合唱コンクールの練習中に反抗的な態度をとった生徒の顔面を3回叩き、髪の毛をつかんで前後に揺さぶり、これをもう一度繰り返したため、全治1週間の頭部打撲、頚椎捻挫の怪我を負わせた。保護者に告訴され、傷害罪で罰金10万円の略式命令に処せられた。これでも、停職処分よりずっと軽い戒告である。
 平成12年5月、小学校教諭が他の児童を叩いた児童を叱った際、頭部を叩き服をつかんで振り回し蹴る行為に及んだため、打撲、擦過傷など2週間の怪我を負わせた。これは文書訓告である。
 平成13年7月、中学校教諭が、下級生をいじめた生徒を指導した際、シャツをつかんで体を引っ張り上げた。すると、生徒が転んで床に手をついたため、16日間の入院を要する右腕骨折の怪我を負わせた。同様に文書訓告処分である。
 
 教諭は、同03年10月、到底この処分は受け入れられないとして不服申し立てを行った。
 一方浅川夫婦は、この処分が出た後で診断された裕二のPTSDを理由に、同じく同年10月、川上教諭と福岡市を相手取って約1300万円(最終的に約5800万円)の損害賠償を求める民事訴訟を福岡地裁に起こした。主任の代理人である大谷辰雄弁護士は、前例のない児童虐待事件に大きな憤りを感じ、全国の弁護士に呼びかけて、約550人もの大弁護団を結成した。
 筆者がこの事件の取材のために福岡入りしたのは、1回目の口頭弁論が行われる直前の11月下旬だった。「週刊文春」の記事が衝撃的だったため、その後追い取材を「新潮45」の編集部から依頼されたのである。当初は記事の信ぴょう性を疑っていなかった筆者だが、実際に現地で聞き込みをしてみると、その内容を覆す証言が次々に飛び出して正直面食らった。記事のほぼすべてがでたらめだろうと思われた。
 ことに、この大騒ぎの発端である「アメリカ人の血」が浅川家には一滴も流れていないらしいことを知り、呆れてしまった。
 裁判では、「アメリカ人の血」のみならず、和子が吹聴していた一連のアメリカ絡みの話がすべて嘘だったことが明らかになった。その上、重度のPTSDと診断されて大学病院に入院した裕二にPTSDの症状が皆無だったことがカルテ開示によって証明された。肝心のいじめ、体罰、自殺の強要についても、原告側はなんら立証できなかったのである。
 筆者が取材した際も、裕二の同級生たちはだれも、「帰りの会」で行われた川上の体罰を見ていなかった。子供たちは新聞やテレビの報道に、「何それ、全然違う。体罰やいじめなんてなかった」と言い張っていた。
 こうして、次第に原告側の不利に傾いていった裁判だが、2006年8月に言い渡された判決は、「相当軽微」としながらも、教諭の体罰やいじめの一部を認めて福岡市に220万円の賠償を命じた。しかし一方で、体罰による怪我、自殺の強要、「血が穢れている」という差別発言、裕二のPTSD については原告側の主張を退けた。
 どうして一部の体罰やいじめが認められてしまったのか。裁判官は、川上教諭とともに被告である福岡市が、既に川上の違法行為をある程度認めて懲戒処分を行っていることを重視したのである。刑事事件で例えれば、被告が罪を自白していることになるからだ。
 だが、この一審判決を最も不服としたのは原告側である。PTSDをはじめ主な主張が認められず、「原告らの供述には信用性がない」とまで決めつけられてしまったからだ。
 このため原告側は直ちに控訴した。ところがこの控訴審で、大谷弁護士らは非常に姑息な法廷戦術を取った。被告である川上教諭の控訴を取り下げたのである。これはいったいどういうことか。
 福岡市の場合は、懲戒処分で認定した範囲内の体罰やいじめについては争っていない。原告側と福岡市の争点はPTSDの有無だけである。そこで、すべてを争っている厄介な教諭を外し、与しやすい福岡市と裁判を続けることにしたのだろう。
 教諭は「福岡市の補助参加人」となり、かろうじて裁判に関与できることになった。
 しかし、この控訴審においても、浅川親子の証言は矛盾だらけで嘘が多く、一審以上に彼らの証言の信用性のなさを浮き彫りにする結果となった。それにもかかわらず、2008年11月に言い渡された控訴審判決は、福岡市に対し、一審判決より110万円を上乗せした「330万円を支払え」というものだった。
 教諭にとっては一審より不利な判決となってしまったが、これは、原告によって被告席から引きずり降ろされたため、一切の主張、反論権が奪われてしまったからである。判決文にも、「川上は、被告ではなく被控訴人(福岡市)の補助参加人なので、被控訴人が自白している事実を争うことはできない」とある。このため、今回教諭側が提出した有力な証拠(教諭の体罰やいじめを否定した5人の子供たちの証言)も黙殺されてしまった。
 結局、市教委が下した懲戒処分が裁判において動かし難い証拠となり、無実を訴える教諭の前に立ちはだかったのである。教諭は、「当事者である私を抜きにした原告被告双方の中身のないなれあいの裁判で、私の違法行為が一部にしろまた認められてしまった」と悔しさをにじませた。
 しかし、教諭の闘いはこれで終わったわけではなかった。裁判のために中断されていた不服申し立ての審理がこの後再開され、ようやく2013年1月17日、判定が言い渡されたのだ。
 実は私は、この不服申し立ての審理に期待していなかった。先の民事訴訟によって、体罰やいじめの一部が認定されてしまっているため、処分がすべて撤回される可能性は低いと見ていたのだ。良くて停職3か月とか停職1か月など、現在より軽い処分に落ち着く程度ではないかと考えていた。
 ところが、1月18日に教諭から入った電話は、私のそんな予想を裏切る朗報だった。
「福岡市人事委員会の判定で、処分が取り消されました」
「え、停職6か月の処分がすべて取り消されたんですか?」
「そうです。昨日、弁護士さんから連絡があったんです」
 教諭は普段、あまり喜怒哀楽を表さない性質である。ところがこの時ばかりは、喜びで声が弾んでいた。
 審理の過程は非公開であるため、処分が取り消された理由を、判定文の内容に沿って検証していくこととする。
 まず、教諭が、ミッキーマウス、アンパンマン、ピノキオといった体罰を家庭訪問の翌日から行ったとする浅川側の主張に対しては、「和子は、家庭訪問の際に、申立人(川上教諭)に対して、裕二が片付けができないことについて配慮するよう依頼したというのであるから、申立人の裕二に対する接し方に強い関心を抱いていたはずであり、仮に、家庭訪問の翌日から、10カウントに伴う体罰が毎日続いていたとすれば、直ちに和子が知るところとなり、何らかの対応をとるものと思われる。それにもかかわらず、家庭訪問から二十日間近く経過した後に、はじめて抗議したというのは、合理的な説明が不可能であって、10カウントと体罰に関する和子と卓二(夫・仮名)の供述、さらに裕二の供述は、いずれも信用できない」と明快に論じた。
 また10カウントやランドセルをゴミ箱に置く、あるいは入れる行為にしても、裕二は、強い指導を必要とする児童であるため、教育的な指導として行われたにすぎないと判断した。ただし、ランドセルをゴミ箱に入れる行為は行き過ぎだとした。
 家庭訪問での、「血が混じっている」発言にしても、教諭が供述する「会話は自然であって、十分に信用することができる」。反対に、浅川和子が主張する家庭訪問の経緯は「虚偽というべきである」と断じる。なぜなら、児童の曽祖父がアメリカ人と聞いただけで「血が穢れている」と差別発言をし、アメリカ人に対する著しい偏見を露にするというのは、「教員としては稀に見る特異な人物ということになる」「しかし、本件の各証拠からは、申立人(川上教諭)がそのような人物であることを窺わせる形跡は皆無である」
 また、体罰についての検証と同様、「家庭訪問から二十日間近くも経過した後に、はじめて抗議したというのはいかにも不自然である」
 教諭が「アメリカ人」「髪が赤い人」と発言したと認定した根拠は主に、校長が事件後、裕二のクラスの子供たちを対象に、教諭の体罰行為などについて聞き取り調査をした結果である。「先生が じゅぎょう中やゲーム中に アメリカ人のことや 髪の毛のこと などを みんなの前や一人の子どもに言ったりしたところを 見たり 聞いたり したことが ある ない」との質問に16名の児童が「ある」と回答したためだ。
 しかし判定では、「聞き取り調査の『アメリカ人のことや髪の毛のこと』というのは、あまりにも漠然としていて、児童がどのような意味として理解し回答したのかが明らかではなく、この聞き取り調査の結果をもって、申立人(川上教諭)が差別的発言をしたことの裏付けとすることはできない」とした。こうして、いじめの事実も全面的に否定した。 
 教諭が、当初は事実と認めていた内容の多くを否定または変更し、関係者全員に混乱をもたらしたことについては、当時の学校の対応の方にこそ責任があるとして、厳しく批判する。
「教員の児童に対する体罰やいじめを巡って、教員と保護者の間で対立が生じた場合、学校運営の責任者は、できるだけ公平中立な立場で、児童やその保護者らを含む第三者の協力を得て、客観的な証拠を中心に事実関係を把握し、事実に基づいた妥当な解決を図るべきである」(要約)
「しかるに、校長と教頭は、裕二の両親による抗議の内容と申立人(川上教諭)から聞き取りをした内容との間に大きな隔たりがあり、このことを十分に認識していたにもかかわらず、事実を十分に解明することもないままに、申立人の側に不適切な言動があるとして、申立人に謝罪するよう指導し、他方、裕二の両親の『抗議』内容の真偽については十分に検討も検証もしないまま、申立人の授業に監視者を置く、学級懇談会を開いて申立人に謝罪させる、申立人を担任から外す、という裕二の両親の要求を次々と受け容れているのであり、その結果、裕二の両親による『抗議』が正当なもので、申立人が極度の差別意識を持った暴力教師であるかのようなイメージが作り出され、裕二の両親の『抗議』と社会に対する『訴え』を勢いづかせたということができる」
 そして市教委もまた、この校長らの報告を鵜呑みにして、教諭の弁明に耳を貸すことなく浅川側の言い分に偏った処分を下したのである。
 なお判定文には、市教委は当初、停職3か月の処分を決定していたが、浅川夫婦の代理人である大谷弁護士から、裕二の肉声を録音したCDなどが添付された意見書が提出され、それにより、裕二が当初考えていたよりもはるかに大きな精神的苦痛を受けていたことが判明したとして、処分を停職6か月に変更したと記されている。
 教育委員会会議では、免職が相当ではないかとの意見も出たという。
 しかし判定では、「CDの裕二の発言には、和子に誘導されたと思われるものが随所に見られる」と判断している。
 結論として、「本件処分は処分庁の裁量権を著しく逸脱しており、これを取り消すのが妥当である」と述べる。
 教諭の代理人である南谷洋至弁護士は、「教諭の言動がいじめか教育的指導かを真正面から判断するなど、非常に常識的な判定をしてくれた」と評価。市教委は、「人事委の判定を厳粛に受け止める。判定の内容については全面的に認める。再審請求はしない」とコメント。それなら、誤った処分を下した当時の担当者に対して責任を問うことはしないのかと尋ねると、「個人ではなく、組織が判断したことなので処分は考えていない」
 当時の担当者、市教委教職員第1課の吉田恵子課長は現在、福岡市中央区の区長である。彼女に質すと、「今回の判定は非常に重く受け止めている。しかし、組織による判定なので、個人的なコメントは差し控える」
 浅川夫婦の代理人を務めた大谷弁護士にも連絡をしたが、電話口にすら出なかった。毎日新聞には、「裁判所が認定した事実があるのに、なぜこんな結論になるのか。全く理解できない信じがたい判定だ」と怒りのコメントをしていたが。
 考えてみれば、この判定が民事訴訟の前に出ていれば、教諭の体罰やいじめが一部認定されるなどということはなかったのだ。
 いや、市教委も、裁判の過程で、この事件がモンスターペアレントによるでっちあげであることを十分認識したはずである。判定を待つまでもなく、メンツや体面を捨てて自らの処分の過ちを認めていれば、教諭がこれほど長く冤罪に苦しむこともなかったのである。
 この点についても市教委に問うたが、「すでに(裁判は)確定してしまっているので」と言葉を濁す。
 福岡市の代理人である山本郁夫弁護士は法廷で、「福岡市は川上が違法行為を行ったことを前提としている」と言ったが、この前提が崩れたのだから、事実上、判決は無効になったと解釈していいはずだ。
 10年来の冤罪がようやく晴れた教諭は今回の判定についてこう言う。
「この10年間私は、筆舌に尽くせない苦しみを味わってきました。今回やっと私の言い分を全面的に認めてもらい、ようやく溜飲が下がる思いです」 
 公平性を欠いたずさんで理不尽な懲戒処分が、一人の善良な教師の教師生命、いや、その人生さえもめちゃくちゃにしようとしていたことを、関係者はどの程度の深刻さで受け止めているだろうか。
 判定はあらためて、この事件が「でっちあげ」以外にあり得ないことを証明している。

2013年3月

出典:新潮社公式サイト

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