『あなたも今日から日本人―『国民の歴史』をめぐって』西尾幹二・長谷川三千子(致知出版社)
2000年7月28日初版発行
218頁
目次(収録作品)
第1章 東の文明、西の文明
第2章 常に天皇がいる歴史の光景
第3章 自覚する日本
第4章 日本はひとり立つ
第5章 歴史とは何か
第6章 われわれは自由に耐え得るか
月刊『致知』(2000年五月号)誌上で行われた対談にさらに語り合ったものを加え再構成した本。
歴史について語った対談。
まあまあ。一読しても悪くはない。
気になったのは、西尾幹二著『国民の歴史』からの引用が数ヶ所あるが、原文を正確に引用していない点。(なぜか言い回しや表記などを変えている。また、省略も示していない)特によくないと思った箇所を一つ示しておく。
(p.212)下線は引用者。
自然は無為自然という言葉が示すように、もとは老子から来たのである。老子の言う自然はネイチャーの意味ではなく、ひとりでに自ずとそうなるということの意味で、手が加えられてそうなるのではなく、それ自身の力によってそうなっていくことを指す言葉である。物事に何もしない。手を加えないことが一番いいという思想が自然ということだ。物事の働きを抑制したり加工したりしないで、むしろその働きが持つ高い活力を自由に解放させるようにしてなすがままにしていくことが一番よいという意味なのである。そういう意味での自然は人とは対立していない。人を含み、森も山も木も魚も犬も雷もすべて一元をなしている世界。そこでは何もしない物事が自ずとそれ本来の姿のままに多い。このような自然に背くから自ら倒れていくことになる。
原文 単行本p.306,p.307、文庫版・上巻p.402
自然は「無為自然」という言葉が示すように、もとは老子からきたのである。老子の言う自然にnatureの意味はなく、独りでにとか、おのずとそうなるというほどの意味で、手が加えられてそうなるのではなく、それ自身の力によってそうなっていくことを指す言葉である。(略)ものごとに何もしない、手を加えないことがいちばんいいという思想が自然ということだ。ものごとの働きを抑制したり、加工したりしないで、むしろその働きが持つ高い活力を自由に解放させるようにして、なすがままにしていくことがいちばんよいという意味である。そういう意味での自然が、人とは対立していない、人を含み、森も山も木も魚も犬も、そして雷も、すべてが一如をなしている世界、そこではなにもしないでも、ものごとはおのずとそれ本来の姿のままに動いていく。このような「自然」にそむくから、自ら倒れていくことになる。
上記にようになぜか改変をおこなっている。特に、なぜ「一如」を「一元」を変えたのだろうか。また、2つ目の下線部はなぜこうしたのか。意味が不明である。どうしてこのような改悪をするのか理解できない。(そもそも正確に引用されていないのが問題なのだが)
(p.136)「ベルジャーエフの『歴史とは何か』」に言及があるが、これは『歴史の意味』[amazon]のことか。