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『清水文雄「戦中日記」』(笠間書院)

『清水文雄「戦中日記」―文学・教育・時局』清水文雄、清水明雄編(笠間書院)

2016年
624頁




目次(収録作品)

日本文学の会日誌
 昭和十三年(一九三八)三十五歳
 昭和十五年(一九四〇)三十七歳
 昭和十六年(一九四一)三十八歳

戦中日記(その1)
 昭和十二年〜十五年(一九三七〜四〇)三十四歳〜三十七歳
 昭和十八年(一九四三)四十歳
 昭和十九年二月・六月(一九四四)四十一歳
 昭和十九年七月
 昭和十九年八月

戦中日記(その2)
 昭和十九年九月(一九四四)
 昭和十九年十月
 昭和十九年十一月・十二月
 昭和二十年一月(一九四五)四十二歳
 昭和二十年二月・三月
 昭和二十年四月〜八月

清水家略系図
児玉家略系図
山廣家略系図
清水文雄略年譜
清水文雄著書・論文等目録

解説 前田雅之

「天皇と三島。清水は二人の紛れもない師であった。」(松岡正剛)
「この時代が見失っている原型を浮かびあがらせる」(保阪正康)

和泉式部を中心とする平安朝文学の研究者で、三島由紀夫を見出したことで知られる清水文雄の戦中日記。
大学ノートに記された、昭和十二年より昭和二十年八月十五日までの「日本文学の会日誌」(昭和十三年三月〜十六年二月)「雑記帳」「碌々斎日記」(昭和十八年七月二十九日以降の名称)の全文を収録する。

本日記には、三島由紀夫『花ざかりの森』が掲載されたことで知られる雑誌『文藝文化』(齋藤清衛・蓮田善明・栗山理一・池田勉など)が生まれてくる過程や、文藝文化グループ以外の人々(伊東静雄・保田與重郎など)と清水の交流がわかるなど、戦時期文学運動の実態が綴られるほか、皇太子(現今上天皇)を中心とする皇族教育起草案(国文教科書編纂)の策定過程、今まで知られていなかった、三島以外との文学的交流―戦時下の恋歌鑑賞、連歌、和歌の贈答など―は、「戦時下のみやび」を伝えて余りある。戦時下、教師として研究者として、国家や天皇をどう考えていたのか。初めて明かされる貴重な記録。

出典:笠間書院公式サイト

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